1985年夏の日本航空ジャンボ機事故の犠牲者を悼んで植えられた数百本の桜が、滋賀県の名刹(めいさつ)・石山寺にある。「夢の桜」と名づけられたこの桜から接ぎ木した若木が今秋、墜落現場の群馬県上野村に寄贈される。
紫式部が参籠(さんろう)し、月を眺めながら源氏物語の構想を練った地と伝わる石山寺。境内の高台に立つ「光堂」の周辺は毎年春、薄紅色に染まる。
カンザクラ、ヒガンザクラ、ヤマザクラ、ソメイヨシノ……。事故1年後から育てられ、三十余年を経て大きく枝を広げた。
寺の副座主、鷲尾博子さん(68)は、事故で妹の能仁千延子(のうにんちえこ)さん(当時22)を失った。実家は徳島県阿南市の寺。4人きょうだいの末っ子が千延子さんだった。
事故があった38年前の8月は、博子さんと石山寺の前座主・遍隆(へんりゅう)さんとの結婚が2カ月後に迫っていた。「私だけが幸せになっていいのだろうか」
千延子さんは活発で、周囲を明るく照らすような存在だった。小学生の時は忘れ物をした同級生をかばって「人間だから忘れることもあります」と声を張り上げ、担任教諭まで苦笑させた。大学では演劇に挑戦。事故の年の春に東京でアパレル会社に就職したばかりだった。
妹はなぜ、こんな理不尽な死を迎えなければならなかったのか。果てない悲しみと怒りの中で「なぜ、なぜ」と問い続けた。
記事の後半では、日航機墜落事故で妹を失った鷲尾博子さんが、作家・瀬戸内寂聴さんから送られた「無常」の言葉の意味を、御巣鷹と向き合う中で考えます。
母が見た夢 桜の苗木を石山寺へ
その年の暮れ。博子さんの母・怜子さんから石山寺に電話が入った。夢を見た、と母は言った。
「妹が、多くの方々と山を登っていく夢だったそうです。頂にはお堂があり、山道は満開の桜に染まっていたと」
石山寺は、琵琶湖や瀬田川を望む丘陵地にある。その地に桜の苗木を奉納したい、と母は言った。夫の遍隆さんに伝えると「いただこうじゃないか」。遍隆さんは寺の庭師らと相談し、苗床をつくり苗木の受け入れを続けた。
3年をかけ、事故で失われた命と同数の520本の苗木が届いた。苗床で順調に育った450本が境内に植え替えられたが、桜の適地は限られ、枯れたものも。それでも、境内で約300本を根付かせることができた。母が見た夢から、「夢の桜」と名づけた。
夫と同じく、博子さんを見守…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル