原爆投下後の長崎で撮影したとされる写真「焼き場に立つ少年」は、左右が反転している可能性があることが長崎市被爆継承課の前課長、松尾隆さん(54)=現在は滑石公民館長=の解析で分かった。撮影者が意図的に反転させたのかどうかなどは不明という。
写真は、米軍の従軍カメラマンだった故ジョー・オダネルさんが1945年に撮影。亡くなった弟を火葬する順番を、少年が焼き場で待っている場面とされる。
松尾さんは今年5月からパソコンで独自に写真の解析を行ったところ、上着の前身頃の右側が上になっていることに気付いた。女性用の服の特徴であり、ほかに着るものがなかった可能性もある。だがさらに調べた結果、通常は左胸に縫い付ける名札が右胸にあることが判明。写真が反転している、と結論付けた。現在、論文にまとめている。名札の文字は判読できなかった。
この少年が誰なのか、どこで撮影されたのかなど不明な点が多く、今も関心を持って調べる人は少なくない。松尾さんは「顔の印象は向きによって変わる。反転前の正しい向きで調べることが必要だ」と指摘。さらに写真の解析を進めるという。 (野村大輔)
ローマ法王も言及
「焼き場に立つ少年」は多くの人の心を動かす。写真美術史家の故吉岡栄二郎さんは5年を費やして撮影場所や少年の行方を調べ、その成果を2013年に著書「『焼き場に立つ少年』は何処(どこ)へ」にまとめた。長崎市戸石村(当時)にいた少年ではないか、との情報もあったが、特定はできなかった。
同市在住の被爆者の村岡正則さん(85)は、銭座国民学校(現銭座小)で何度か一緒に遊んだ少年に似ていると感じていた。カトリックを信仰する村岡さんは17年末にローマ法王フランシスコが写真に言及したのをきっかけに、吉岡さんの本を手掛かりに少年の足取りを調べ始めた。被爆体験者訴訟を支援する県保険医協会も今年8月、吉岡さんが撮影場所と考えた同市矢上地区の焼き場跡で、写真に写り込む標柱などを調査。発見はできなかったが、本田孝也会長(63)は「新たな情報があればさらに調べたい」と話す。
11月に来日予定の法王は核廃絶への思い入れが深く、「このような写真は千の言葉よりも伝える力がある」と述べ、世界中に広めるよう説いた。
西日本新聞社
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