「理由なき凶悪犯罪」の時代――行き場を失った心と「非公的準社会」(THE PAGE)

 「無敵の人」というネットスラングがあります。匿名掲示板「2ちゃんねる」の開設者の西村博之氏が、2008年頃にブログで「無職で社会的信用が皆無の人にとっては逮捕というのは、なんのリスクにもならないのですね」と記したのが元とされていますが、無差別殺傷事件などが起きるとたびたびトレンド入りする言葉になっています。

 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、京都アニメーション(京アニ)で起きた放火殺人事件や川崎市・登戸で発生した無差別殺傷事件の報道に触れ、社会への入り口について考えたといいます。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。

芸人という異能者

 吉本興業と所属芸人のスッタモンダが大変な話題になっている。放送という公共性を掲げるテレビ局が、反社会的勢力との関係を置き去りにして、芸能事務所内部のゴシップ的な話題に終始しているのはおかしなことだ。

 昔から芸能者は興行を通じてそういった勢力と深い関係にあった。しかし現代日本では、反社会的勢力を封じ込めようとする一方で、エンタメ(娯楽)企業が急速に肥大し、オリンピックや地球環境などのイベントにまで関わるようになり、大きな公的資金が流入するところに問題が生じている。今は、経済のかなりの部分がキャラクター(生身の人間と人工的なものを含む)の「人気」によって動かされる、いわば「人気資本主義」なのだ。これも情報化社会の一面であろうか。

 図らずも芸人(この言葉も吉本から広まったと思われる)とその組織が、一般社会の雇用契約とは異なる関係であることが浮かび上がりつつあるが、芸能者とはもともと、日常社会にいっときの非日常を運ぶものである。「異能の流民」としてのキワドサが彼らの魅力と才能であって、サラリーマン社会のモデルにはなりにくいのは当然だ。世の中にはさまざまな層があるべきで、単層的な社会では息苦しい。

 むしろコトの本質は、そういった部分にフタをしたまま人気だけを利用しようとする、テレビ局や政府の「定見と覚悟のなさ」にあるのではないか。


【関連記事】


Source : 国内 – Yahoo!ニュース

Japonologie:
Leave a Comment