「琉球人お断り」の時代乗り越え 大阪「リトル沖縄」に生きた3世代

【動画】人気サッカー漫画「ブルーロック」原作者の金城宗幸さんが、祖母の経験した沖縄戦を描いていた

 大阪市南西部の大正区。JR大阪駅から電車で10分ほどの地域には、数多くの沖縄料理店や物産店が点在している。住民の4人に1人が沖縄にルーツをもつとされ、「リトル沖縄」と呼ばれるゆえんだ。

 週刊少年マガジン講談社)で連載中の人気サッカー漫画「ブルーロック」の原作者、金城宗幸さん(35)は、ここで生まれ育った。父の宗和さん(65)は今も大正で暮らし、地域に残る沖縄関連の場所を案内する活動を続けている。

 「沖縄慰霊の日」(6月23日)を前にした6月上旬、宗和さんと一緒に大正の「沖縄」を歩いた。

「ソテツ地獄」で沖縄を追われ、大阪でも…

 家の門柱に置かれたシーサー、商店街で流れる沖縄の歌謡曲、沖縄の名字の表札……。大正区中心部の平尾地区には沖縄ルーツの住民が区内でも多く集まっているといい、沖縄の雰囲気が色濃く表れている。アーケード型の「平尾本通商店街(サンクス平尾)」には沖縄関連の店が並び、周辺地域では沖縄空手や舞踊、三線(さんしん)、エイサーなど伝統芸能を受け継ぐ活動も盛んだ。

 大正区北部の三軒家公園には、「近代紡績工業発祥の地」と記された石碑があった。大正では1883年、当時の大阪紡績(現・東洋紡)が工場の操業を開始し、働き手を募集。沖縄出身者が集まるきっかけの一つになったと言われている。金城さんの祖母・幸子さんもその一人で、沖縄から大正界隈(かいわい)に移り住み、紡績工場で働いた。

 大正区内を見渡せるのが、地下鉄の掘削工事で出た土砂などを積み上げて生まれた「昭和山」だ。山のふもとに、ソテツが生い茂っていた。

 「ソテツには毒があり、沖縄では飢えて口にしてしまい、亡くなった人もいました」と宗和さん。沖縄では1920年代、黒糖価格の暴落などで、ソテツを食べざるを得ないほどの不況「ソテツ地獄」に見舞われた。数多くの人たちが海を渡り、沖縄を離れるきっかけの一つになったとされる。

仕事や家探しで差別、「沖縄的なこと」隠す生活

 だが、移り住んだ先の大正区では戦後になっても沖縄出身者は苦しい生活を強いられた。

朝日新聞ポッドキャストでは大正区での取材に同行し、沖縄戦や沖縄移民の歴史を語り継ぐ父・宗和さんの思いを収録しました。記事中盤の音声プレーヤーで聞くことができます。

 宗和さんが育った小林地区(…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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