「福島の子供の支援に」知人利用し、中核派被告の潜伏先確保か(産経新聞)

 昭和46年の渋谷暴動事件で、警察官を殺害したとして殺人罪などで起訴された過激派「中核派」の活動家、大坂正明被告(70)が、平成29年5月に身柄を確保された際に潜伏していた広島市内のマンションについて、家賃の支払いなどに使う銀行口座を不正に開設したとして、大阪府警警備部は15日、詐欺容疑で広島県安芸太田町の大江(おおえ)厚子町議(63)ら3人を書類送検した。捜査関係者への取材で分かった。府警は昨年11月、大江町議宅や中核派の関係先を捜索していた。

 「福島県の子供を支援するための場所が必要」。大坂被告の最後の潜伏先となった広島市内のマンションをめぐり、詐欺容疑で書類送検された広島県の町議らは、知人男性にこのように虚偽の説明をして名義貸しを依頼した疑いがある。約半世紀にもわたった大坂被告の逃亡生活。大阪府警の捜査で、事情を知らない第三者を利用し、拠点を確保していく手口が浮かび上がってきた。

 捜査関係者によると、大江町議=詐欺容疑で書類送検=と中核派の男性活動家(56)=同=が、島根県の60代男性=同=の自宅を訪れたのは平成28年5月ごろ。

 町議らは男性に「(東日本大震災で原発事故が起きた)福島の子供を支援したい」と訴え、拠点となる場所を探しているなどと説明。その後、マンションの契約や関連する銀行口座の開設を頼んだという。

 男性は妻を通じて大江町議と知り合いで、依頼に応じる形で広島市安佐南区のマンション一室を契約した。大坂被告は少なくとも29年2月には、この部屋で潜伏を開始。大江町議が初当選したのは翌月のことだった。

 ■途絶えた足取り

 渋谷暴動事件が発生したのは約48年前の昭和46年11月。学生ら約300人が現行犯逮捕される中、逃走した大坂被告は翌47年に指名手配された。事件からしばらくは仲間の活動家宅に身を寄せるなどしていたとみられるが、その後は足取りが途絶え、生死も不明な状態が続いた。

 しかし、平成24年に警視庁が都内の中核派アジトを捜索した際、大坂被告を病院に受診させようとしたことを示す資料を発見。生存していることが確実となり、捜査当局はさらに追跡を続けた。

 事態が大きく動いたのは29年に入ったころ。同派の男性非公然活動家(55)の動向を追っていた大阪府警は、広島市安佐南区のマンションに入っていくのを確認。活動家が兵庫県内のホテルに偽名で宿泊したことが分かり、府警は旅館業法違反容疑などで捜索するため、同年5月18日、マンションに踏み込んだ。

 ■もう1人いた男

 5階建てマンション3階にある2LDKの一室。府警は室内にいた活動家を旅館業法違反容疑などで逮捕するとともに、もう1人いた男についても、捜査員に体当たりしたとして公務執行妨害容疑で現行犯逮捕。室内からは複数の携帯電話やノートパソコンのほか、中核派の機関紙も見つかった。

 長期の逃亡生活で容姿は大きく変わっていたものの、親族のDNA型鑑定などから男は大坂被告と確認された。同年6月、警視庁が渋谷暴動事件で指名手配していた大坂被告を殺人容疑などで逮捕し、東京地検が殺人罪などで起訴した。

 その後、活動家は犯人蔵匿罪に問われ、有罪判決が確定。大坂被告は公判前の手続きが続いている。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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