自分の余生を、福島と切り離すことはできないだろう。日米双方にルーツを持つ日本文学・文化の研究者で、シカゴ大名誉教授のノーマ・フィールドさんは3・11直後、そう直感したといいます。日本の原発事故被災と、コロナ禍や政治的分断に揺れる米国の現状への思いを聞きました。
1947年生まれ、シカゴ在住。シカゴ大学名誉教授。日本生まれで、父は米国人、母は日本人。著書に「天皇の逝く国で」(みすず書房)、「小林多喜二 21世紀にどう読むか」(岩波新書)など。
――東日本大震災が起きて以来、福島に通い続けていますね。
原発事故の知らせを聞いたとき、私はこの先、福島から離れられないだろうという思いを抱きました。その直感に従い、2011年11月に初めて福島県に入って以来、コロナ禍でかなわなかった昨年を除き、年2回ほどのペースで通ってきました。
被災者に「よりそう」と安易に言うことにはためらいがあります。私は時折、米国から飛来するだけの立場であり、その地で暮らし続ける人でなければ分からない、切実なことがあるに違いないからです。それでも、福島を切り離して余生を生きていくことはできないと、3・11直後に強く感じました。
――日米双方のルーツを持つあなたが、原発事故にこだわり続ける理由はなんですか。
核災害と私の出会いは、日本での少女時代にさかのぼります。第五福竜丸事件が日本を騒がせた頃、米国による太平洋の核実験をめぐって、両親の考えが食い違っていることに気づきました。米国人で退役軍人だった父は核兵器の必要性を信じていた一方、日本人の母親は戦争経験から核実験に強く反対していました。
広島・長崎の被爆の実相を知る以前でしたが、子ども心に母親の方が正しいと感じました。半世紀後、3・11の福島で起きたことを知った時、アメリカによる原爆投下の事実が呼び起こされ、何ともたまらない思いがしたのです。原爆投下と原発事故の関係を問うことの複雑さは、徐々にわかってくることですが。
――被災地に10年間通い、見えてきたものはなんですか。
原発事故後の福島の印象を語る…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル