「私はまだ生きている」爆風の中、走った 77年目の今こそ語る決意

 戦時中、学徒動員先の福島県郡山市の工場で空襲に遭った南相馬市の日高美奈子さん(92)は今、ウクライナへの空爆映像を目にするたびに当時の惨禍を思い出し、身を縮める。「戦争で女性や子ども、弱い者が犠牲になるのはもうたくさん」と、再び声を上げる。

戦火の中で青春を過ごした人たちは、百歳前後になろうとしています。その体験をいま、書き残しておきたい。戦後77年の夏、あらためて耳を傾けました。

 原町高等女学校3年生だった1944年10月、同級生120人と郡山市の日東紡績富久山工場に学徒動員されたの。当時は戦争一色で楽しいこともなく、修学旅行のようにうきうき気分で郡山に向かったんです。「お国の役に立てる」と誇らしさもあったわね。

 仕事は、耐火れんがの原料を一輪車で運んだり、できあがったれんがを窯の中に積んだり。過酷な労働で疲れはて、夜中は離れた両親を思い、みんな布団をかみしめて泣いていた。

「今から思えば負け戦」 疑問言えず

 45年4月12日は、朝から…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment