妻(78)は一睡もできないまま、その朝を迎えた。
となりのベッドでは、7年前にアルツハイマー型認知症と診断された夫(当時85)が寝息を立てている。
「お父さん、ごめんね。私もすぐ行くからね」
妻はそうつぶやき、夫の首をネクタイで絞めて殺した。かつて夫の排泄(はいせつ)物をじかにぬぐった手で。
3月7日、広島地裁であった初公判。被告となった妻は車いすで法廷に現れた。裁判長から起訴内容について問われると、うつむき、消え入りそうな声で「間違いありません」と答えた。
被告は2022年5月23日午前4時半ごろ、広島県竹原市の山間部にある自宅で、寝ていた夫を窒息死させたとして殺人罪に問われた。
被告の心はなぜ折れたのか。公判で明らかになった証拠や被告人質問から、事件の経緯をたどる。
被告は20歳のころ、酒屋に勤めていた夫と見合い結婚した。4人の子宝に恵まれたが、「亭主関白」な夫だった。平日は米や酒の配達、週末は兼業していた農家の仕事で家を空け、家事や育児にはほとんど関わらなかった。
それでも、若い頃は夫婦で富士山に登り、数年前には北海道へのツアー旅行に参加した。被告が車の助手席から、運転席の夫に「あーん」とお菓子を食べさせるなど、仲むつまじく過ごした。
「私を頼ってくれるから」
夫が初期のアルツハイマー型認知症と診断されたのは、78歳の頃だった。7年後には自分の娘たちの顔や名前を忘れ、会話がほとんど成り立たなくなった。
日中は週4日、デイケア施設で風呂や昼食を済ませたが、自宅での介護は被告が一手に引き受けた。
夫は高齢による体力の低下から、1人でベッドから起き上がれず、歩く時は被告の腕を支えにした。
排泄のコントロールもできなくなり、被告がトイレに付き添い、ズボンを上げ下げし、おしりを拭いた。汚れたズボンや床を掃除するのも被告だった。
弁護人「すぐに施設に入ってもらう考えは」
被告「家が大好きな人じゃったから、わが家が一番良いのかなと思いました」
裁判官も尋ねた。
裁判官「介護を長年続けてきた理由は」
被告「私を頼ってくれるし、助けてあげなければいけないと思いました」
だが、夫が認知症と診断された3年後、被告に異変が現れた。
「息子がヤクザと付き合って…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル