「称賛されなかった人生」が激変 日本の「オーバー・ザ・トップ」へ

 シルベスター・スタローン主演の映画の世界を地で行くような男がいる。

 山形市中野目のトレーニングジム経営、植松政憲さん(42)だ。

 隆々とした左腕にすべてを注ぎ、腕っ節一つで勝負をするアームレスリングの国内大会の王者。6月、日本国内の大会で3階級制覇を成し遂げた。

 そして9月、カザフスタンで開かれる第44回世界アームレスリング選手権大会に出場する。

 自身も見たことがあるスタローンの映画の題名は「オーバー・ザ・トップ」(1987年公開)。息子との絆を取り戻そうと、世界アームレスリング選手権大会に挑む男の物語だ。

 「主人公と同じように、自分も世界のてっぺんに挑みたい」

 曲折があった。

 まずは高校時代にさかのぼる。

 野球では山形県内の強豪、日大山形で白球を追った。

野球で立ちふさがったのはあの選手

 「腕力はチームのだれにも負けない」と思っていたが、2年生の夏、チームが出場した甲子園大会では、アルプススタンドで応援するばかりだった。

 視線の先のグラウンドに彼がいた。

 「バッティングセンスもパワーも自分とはまったく違った」という同学年のその選手は、のちにプロ野球広島カープに入団し、強打者として鳴らした栗原健太さんだった。

 大好きな野球で、1度目の挫折を味わうことになった。

 高校卒業後、しばらくしてから家業の古紙回収業を手伝うようになった。

 分厚い段ボール紙の束や新聞紙などを車の荷台に積んでは下ろす日々。さらに腕力が強くなったと感じた。

「ちょろい」はずがコロリと…

 友人や仕事仲間らと懇親する居酒屋では、決まって腕相撲を挑んだ。

 ほとんど負け知らず。友人のそのまた友人らにも声をかけ、腕っ節の強さを競い続けた。

 「もはや山形には自分よりも腕相撲が強い人間はいないんじゃないか」

 自信をみなぎらせ、27歳で臨んだ北日本のアームレスリング大会。決勝は自身より細身の選手だった。

 「これはちょろい」と思い、手をがっちりと組み合った直後、コロリと負けた。

 指や手首の使い方など、アームレスリングのテクニックを何ら身に付けないまま、出場した結果。ショックは大きかった。

 それが2度目の挫折だった。

 居酒屋での腕相撲をやめ、人…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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