「究極の敵」の変化、巨神兵は何者か 大澤真幸の自問

 宮崎駿監督の最高傑作(記者の私見)にして最大の問題作、漫画『風の谷のナウシカ』をコロナ下の今こそ、徹底的に読み解こうという試み。今回はいよいよ、社会学者の大澤真幸さんが「巨神兵とは何者だったのか」というテーマに挑みます。キーワードは「仮定法の神」「神的暴力」。現代思想の最先端で繰り広げられるスリリングな論考をお楽しみください。

【連載】コロナ下で読み解く 風の谷のナウシカ(全8回)
 宮崎駿監督の傑作漫画「風の谷のナウシカ」は、マスクをしないと生きられない世界が舞台です。コロナ禍のいま、ナウシカから生きる知恵を引き出せないかと、6人の論者にインタビューしました。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー、民俗学者の赤坂憲雄さん、生物学者の福岡伸一さん、社会学者の大澤真幸さん、映像研究家の叶精二さん、漫画家の竹宮惠子さんの6人が、それぞれの「ナウシカ論」を語り尽くします。

(この記事は漫画『風の谷のナウシカ』の内容に触れています)

二十数億年前、地球は有毒ガスに汚染された「腐海」だった

 ――漫画版『ナウシカ』と現実との接点を、どのように捉えていますか。

 「日本を代表する社会学者の一人で、私の恩師でもある見田宗介さんが、真木悠介名義で著した『自我の起原』という本があります。『ナウシカ』の中で叙事詩的に語られていた『生命の共生』というテーマを、この本では社会学や生物学の知見を駆使して、事実面から探究しようとしています」

 「見田さんは、『食うか食われるか』『苛烈(かれつ)な生存競争』など、相克的なイメージで語られがちな生物同士の関係のイメージを覆し、人間を含めた生命間のポジティブな共生の可能性を探っている。『ナウシカ』を直接意識しているわけではありませんが、車の両輪のような関係にある一冊です」

 「この本で、見田さんが特に力を入れて書かれているのが、細胞の進化の歴史ですが、これは『ナウシカの世界そのもの』と言ってもいいくらいです」

 ――どんなところが似ているのですか。

 「今から二十数億年前、地球は、ナウシカの世界で腐海(ふかい)が排出する『瘴気(しょうき)』のような、有毒ガスで汚染されていました。その有毒ガスとは『酸素』です」

 「地球が誕生してから長い間、大気中に酸素はほとんど存在せす、生命も酸素を使わずに生きていました。ところが、30億年前に光合成を行うシアノバクテリアという藻の一種が登場し、大量の酸素を作り始めた。当時の大半の生命にとって酸素は毒であり、多くの生物種が絶滅しました。『地球で起こった最大規模の環境汚染』とする研究者もいるぐらいです」

 ――人間の文明だけではなく、生物それ自体が環境を破壊することもあるとは驚きです。しかし、現在の多くの生物にとって、酸素は必要不可欠ですね。

 「その通りです。ある時、毒である酸素を逆に利用し、効率よくエネルギーを作り出すバクテリアが突然変異で出現した。このバクテリアを食べた微生物の一部は、消化せずにバクテリアを体内に取り込むことで、自らも酸素を克服することに成功した。こうして細胞と共生するようになったバクテリアの子孫が現在、人間を含む多くの動植物の細胞の中にある『ミトコンドリア』です」

「食べられること」は敗北でない 生命の共生描いた

 ――異種の生物同士が、共生関係を築くことで環境破壊の危機を克服したわけですね。

 「ナウシカの劇中でも、暴走する生物兵器『粘菌』と『王蟲(オーム)』が、食べたり、食べられたりすることで、安定した共生系を築き、地球環境の危機が回避されます。見田さんが事実に基づいて書こうとした異種の生命同士の共生を、『ナウシカ』は寓話(ぐうわ)的なイメージでつづっている。宮崎駿監督の思想・感性は、見田さんのそれと非常に近いものがあると感じています」

拡大するナウシカは、王蟲が自らを犠牲にして粘菌を鎮め、自然のバランスを取り戻そうとしていることに気づく (C)Studio Ghibli

 ――『ナウシカ』の劇中では、腐海で蟲(むし)たちと共生する森の人・セルムが「食べるも食べられるもこの世界では同じこと 森全体がひとつの生命だから……」と語りますね。

 「『ナウシカ』の根底にある思想は、今ではタブーに近い言葉ですが、『究極のコミュニズム(共産主義)』と言えます。コミュニズムという思想の鍵となるのはコモン、共有物です。社会全体にとって大切なものは、私有を排して共有を目指す。『ナウシカ』では『共有』をラジカルに拡大し、『すべての生命同士の間で生命を共有すること』が語られています」

 「普通に考えれば、『食べられる』というのは生物にとって究極の敗北です。だけど、生命同士で生命を共有しているならば、個体としての生物は食べられても、生命全体としては生き永らえていることになる」

 「漫画『進撃の巨人』では、巨人に食べられることが最大の恐怖として語られている。しかし、それよりもずっと前の作品の『ナウシカ』では、すでに『食べられてしまってもいいんだ』という地平にまで行っている。本当にすごいと思います」

 ――劇中では、王蟲がナウシカを食べて自らの体内に包み込み、命を救おうとする場面もあります。

 「漫画版『ナウシカ』は映画版よりも過激で、予定調和は最後まで訪れません。その代表例が、物語の終盤で登場する『シュワの墓所』を巡る展開です」

 「シュワの墓所の主は、生命を操る技術を駆使して地球環境を再生し、おだやかで賢い人類が詩や音楽を楽しむユートピアを目指していた。それは、たいていのエコロジストが目指す理想そのものではないか、とさえ思えます」

 「常識的に考えれば、登場人物たちが和解して、シュワの墓所を平和利用すればいい。そこで物語は終わるはずなんです(笑)」

拡大する王蟲に食べられるナウシカ (C)Studio Ghibli

 ――確かに(笑)。

 「ところが、ナウシカはそれを拒否し、シュワの墓所自体を破壊しようとする。驚きの展開ですが、ここで僕が注目したいのは『巨神兵』の果たす役割です」

巨神兵は「もう一つの神」、アラブ寓話で説明すると…

 ――漫画版での巨神兵の立ち位置は、映画版とはまったく違いますね。

 「映画版での巨神兵は、核兵器…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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