「浦和のあんこ屋さん」として地元の人から親しまれてきた築70年の小豆倉庫が、女性向けのシェアアトリエとして生まれ変わった。さいたま市浦和区岸町にあった青木製餡(せいあん)工場。倉庫を管理する渡部成恵さん(61)は、祖父の代からの遺産を、女性が活躍できる拠点として次世代に残していきたい考えだ。
渡部さんによると、実家でもある青木製餡工場の全盛期は1960~70年代。街の冠婚葬祭にまんじゅうが多用され、生あんの需要が伸びたという。渡部さんもあんこのにおいがするこの場所で育ち、結婚するまで暮らした。
70年に2代目で父の一巳さんが家業を受け継ぎ、県内を中心に200軒以上の和菓子店にあんを提供していた。今も残る高さ20メートルの煙突は、地元ではランドマーク的な存在だった。小豆を運ぶトロッコとレールが残っており、近くの子どもたちの遊び場にもなっていたという。
「あそこもマンションになった」と言われたくない
一巳さんが2011年に亡くなり、青木製餡工場は廃業した。ただ、敷地内に残った小豆倉庫は取引があった和菓子店のパッケージを保管する賃貸倉庫として、22年まで稼働してきた。
一巳さんの時代から不動産業者から「更地にしてマンションを建設しては」という声はかかっていた。一巳さんはなかなか踏ん切りがつかないまま亡くなった。倉庫を引き継いだ渡部さんも「祖父母が何もなかったこの場所であんこ屋を興し、それを父母が守り続けてきた。『あそこもマンションになってしまったね』と言われるのは悔しい。この遺産をどうすれば祖父母に喜んでもらえるか考えた」と話す。
渡部さん自身、妊婦向けの雑…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル