300人集まらなければ歌手を引退する。そう宣言して始めたコンサートだ。中盤を過ぎて、満席には遠い。現実は受け入れなくちゃ、と思った。
東京でキャリアを積んだ絵描きだった鈴御(りんご)はん(61)が、ふらっと住み始めた奈良でマイクを握ったのは2013年。絵を買ってくれた作詞家・水無月(みなづき)純さんの押しに負けてのデビューだった。
歌はとくべつ得意じゃなかった。人前に立つのも苦手だ。最初は戸惑い、だんだん本気に。水無月さんのレコード会社に所属し、奈良や関西、行ったことのない土地のご当地ソングを連発した。ポップにフォーク、演歌も採り入れて、CDを6枚出した。持ち歌は30曲以上になった。
京都出身の関西人。ここ8年は頭にリンゴをのせて暮らす。スーパーでも病院でも外さない。ウケ狙いというより、売れるため。「お社長」(水無月さん)の歌を世に残すためだ。
だが、道は険しい。
拠点とする奈良市の旧市街ならまちでは、それなりに知られた。故・坂本龍一さんがラジオで6回も曲をかけてくれた。明石家さんまさんのテレビ番組に出演を果たした。それでも知名度はうまく上がらない。
ついに決まった「引退コンサート」
「歌手は趣味じゃない。仕事…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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