素敵な喫茶店があるんです。とても仲の良いご夫婦で、人生のお手本にしています――。
被爆体験を伝える「被爆体験証言者」の若山登美子さん(85)から、そんな話を耳にした。広島市中区の江波地区で新田長次郎さん(82)、睦子さん(82)夫婦が営む喫茶店。記者が店に通って話を聞くと、2人の結婚は被爆の歴史抜きには語れないものだった。
長次郎さんは広島市江波町(現在の中区江波本町)で生まれた。原爆投下時は4歳で、近所の祖父母宅にいた。当時の記憶はほとんどないが、イチジク畑の木の葉の間からB29が見えたこと、全身をやけどした人が畑に座り込んでいたことを覚えている。
戦地に行った父からは、顔を上げられないほどの弾丸が飛び交う中を生きて帰ってきたと聞いた。戦後、酒におぼれ、長次郎さんが小学4年の時、47歳で亡くなった。
生活は貧しく、近所になる柿やミカンなどを口にして、飢えをしのいだ。「戦争のせいで貧乏して、高校にも行けなかった。いまの子どもたちには想像もつかない暮らしだったと思う」
中学を卒業後、市内の材木会社に入社すると、刃物を研ぐ「目立て士」になった。
トランク二つで家出、一路列車で広島へ
19歳の春、職場で同い年の睦子さんに出会った。宮崎県都城市から広島に出てきて、事務員として働いていた。仕事終わりのバスで会話が弾み、二重焼き(大判焼き)を食べに寄り道もした。睦子さんが「焼き芋が食べたい」といえば買ってあげた。
睦子さんの実家は大きな材木…
※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル