体中に汗がまとわりつくような、蒸し暑い夜だった。事件は日本一高いビルとして知られる「あべのハルカス」(地上300メートル、大阪市阿倍野区)近くの路上で起きた。
7月20日午後11時前。帰宅途中の女性(27)が駐輪場から出て自転車をこぎ始めようとした瞬間、前かごから現金約3万8千円が入った肩掛けバッグを奪われた。
「ひったくりや!」
10メートルほど離れた場所で折りたたみ自転車にまたがり、信号待ちをしていた会社員の児玉礼善(らいぜん)さん(18)=大阪市東住吉区=が、女性の悲鳴に振り返ると、自転車の男が目の前を猛スピードで走り去っていった。
「そこの紫の人、捕まえて!」
再び女性の叫び声。児玉さんは周囲を見回したが、紫色の服を着ているのは自分だけ。まさか、「指名」されたのか――。
「しゃあない、取り返さないと」
反射的にペダルに足をかけ、小さな車輪を回しながら、男の背中を追いかけた。
あべのハルカスの足元に広がる市街地を、男は大通りから路地へと逃げていく。どれぐらい追いかけただろうか。児玉さんは男が左折のために減速したタイミングを見はからって追いつき、進路を塞いだ。すぐに自転車を乗り捨てて男に駆け寄り、抵抗を制しながらバッグを取り返した。
「何でこんなことしたんですか」
汗だくの児玉さんが息を切らして問いかけると、男は「金がいるんや」と答え、諦めたように座り込んだ。児玉さんは男の自転車に鍵をかけ、再び逃げないようにした。
その様子を見ていた通行人が110番通報し、男は駆けつけた大阪府警阿倍野署員に引き渡された。児玉さんはその後、阿倍野署で被害女性から謝意を伝えられた。
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阿倍野署の井上光浩署長は8月31日、児玉さんに感謝状を贈った。署によると、追跡は約10分間で約1・5キロに及んだとみられる。男は大阪市西成区内の無職の40代で、窃盗容疑で逮捕された。調べに対し、ひったくりをしたことを認めたという。
児玉さんは今春に高校を卒業したばかりで、現在は運送会社で警備員として働いている。取材に「高校時代はボードゲームを楽しむ『インドア競技部』で、スポーツ経験はありません。でも、片道40分の自転車通学で培った脚力が生きたのかも。とにかく、無我夢中でした」とはにかんだ様子で話した。(華野優気)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル