「終戦」その日まで市民は殺された 米軍が決行「フィナーレ爆撃」

 77年前、米軍の大空襲で多くの乗客らが死亡した大阪市京橋駅(現・JR京橋駅)前で14日、慰霊祭があり、遺族や市民ら約200人が参列した。「終戦」前日のこの日は大阪をはじめ、全国各地に空襲があり、多数の市民が犠牲になった。なぜだったのか。

 大阪への空襲は1945年8月14日昼だった。大阪国際平和センター(ピースおおさか)によると、145機のB29爆撃機が現在の大阪城公園一帯にあった陸軍の大阪砲兵工廠(こうしょう)や京橋駅などを爆撃し、死者は359人、行方不明は79人にのぼった。

 慰霊祭には大阪市の北昌祥(まさよし)さん(92)が参列した。空襲当時は15歳で、砲兵工廠で働いていた。

「しっかりせえ」に「天皇陛下、万歳」

 自身にけがはなかったが、1学年下の男の子が倒れていた。爆風で衣服はなくなり、脇腹からはらわたが出ていた。「しっかりせえ」と励ますと、男の子はかすかな声で「天皇陛下、万歳」と言った。

 「死ぬまで忘れられない」と…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment