「組織的な抗議の動きが見えた」あいちトリエンナーレ芸術監督・津田大介氏が「表現の不自由展・その後」をめぐり会見、実行委員会の主張に反論も(AbemaTIMES)

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」をめぐって、芸術監督の津田大介氏が2日、記者会見を開き、開催から中止に至るまでの経緯を説明するとともに、テロ予告や“電凸“と呼ばれる抗議について語った。

会見の中で津田氏は「ブログでの発信を得意としている地方議員が、協賛企業にこのように抗議をしよう、などとテンプレートを公開していた。また、Twitterでも電話番号はここだ、こういうことがポイントだ、として拡散することが組織的に見られた。また、電話を受けている職員から聞いた話では、電話口で紙をめくっている音がし、話の内容がどれも似通っていた、という。さらに会場を貸してくれた民間の場所にも、かなり強い調子の抗議の電話がかかってきたが、“うちは場所を貸しているだけで、内容については関知していない“と答えると、“おおそうか、それだったら組織的にお前のところに電話するのはやめてやるわ“と言ったと聞いている」と明かし、「もちろん全ての抗議が組織的に行われたとは思っていはいないが、様々なこと見ていくと、その痕跡が見られることは事実だ」と指摘、一部に組織的な動きがあったとの見方を示した。

■実行委員会の主張、「認識が異なる」

 また、この日は津田氏の会見の終了後、同じ場所で「表現の不自由展・その後」実行委員会メンバーによる記者会見も予定されていた。

 記者から「なぜ一緒に会見を開かなかったのか」と尋ねられた津田氏は「同席を望んだが、断られた」と回答、「中止について、“一方的に通告されたもの“としているが、僕とは認識が異なる。8月2日の深夜、“とにかく現場が混乱していて、テロの予告も来ている。このままでは継続は難しい“と伝えたが、“納得できない“ということでその日は終わった。翌3日朝、大村知事にはその決定を一度、白紙戻していただき、“3日の運営状況を見て、実行委員の方々と協議して決めましょう“、ということになった。その日は不自由展の方々は現場で、僕は事務局で対応にあたっていたので、現場の混乱、何が起こったかはグループチャットを使ってリアルタイムに報告していた。人が最も来る日でもあったし、混乱にも拍車がかかり、協賛企業から降りたいという連絡が来るなど、トリエンナーレが崩壊しそうな様々な状況が共有されていった。そして午後2時半くらい、混乱が極まっているとき、知事から“やはり今日で閉めよう“という連絡がきた。これについても、実行委員の方からは“中止ではなく一時中断にできないかと知事に上げてほしいと“いうことだったので、その通りに上げた。しかし知事からは“やはり一時中断ではなく中止にしなければ円滑な運営が回復できない“と言われたので、僕も了承した。このやり取りは、検証委員会のヒアリングでも話をしている。このことを“一方的な通告“と思われるかもしれないが、僕としては協議も含めた双方向のやりとりがあったと認識している」と説明。

 さらに津田氏は「文京区で行われたシンポジウムで、実行委員の小倉利丸さんが“、脅迫が来ていることに対して警察が全然動かなかったのは、事務局が報告サボタージュしたからだ“という旨の発言をしたそうだ。これは明確に事実と異なる。脅迫のFAXも、大量の脅迫メールも、届いたその日のうちに警察に提出し、とにかく捕まえてくれ、捜査に入ってくれ、被害届を出させてくれと言っていたが、受け取ってもらえたのは4日後、メールについては9日後だった」とした。


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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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