「絶望」を撮ってしまったカメラマン 11年半後に「救われた」言葉

 3月11日金曜午後、この日のフライト予定なし。

 太平洋岸にある仙台空港宮城県名取市岩沼市)の格納庫の前で、鉾井喬(ほこいたかし)(38)は、ヘリに据え付けられたカメラの操作練習をしていた。前年の2010年にNHK福島放送局に入局した新人カメラマンだ。空港に待機し、何かあれば現場へと飛ぶ当番にあたっていた。

 実は、空撮取材は苦手だった。動く機内でモニター画面を凝視し、レバーを操作して対象をとらえ続けるのは、熟練がいる。仙台放送局で中継映像をチェックしている上司からは、いつも無線で怒られた。

 ――激しい揺れ。

 「危ないっ」。整備士が鉾井を機外へと引きずり出し、一緒にしゃがんだ。しばらくして収まると、建物から出て来た機長が、告げた。

 「鉾井さん、フライトですよ」

 とっさに思い浮かべたのは、鉾井が小学5年だった1995年、阪神・淡路大震災の発生直後のNHKの空撮映像だ。神戸の市街地から、火災の煙が幾筋もたちのぼるロングショット。崩落した阪神高速道路も映し出された。

 今回も間違いなく全国中継になるであろう映像を、自分はちゃんと撮れるだろうか。「できれば何事も起きないでほしい」。心の中で念じた。この地震で津波の恐れがあるとは、思いもよらない。

 午後3時10分、離陸。

 仙台市の中心部では、ビルの倒壊や、大火災の様子はうかがえない。少しほっとした。

 指示を受け、ヘリは県北の三陸沿岸部に向かう。だが分厚い雪雲に阻まれ、天候が回復していた仙台空港方面をめざすことに。午後4時前、仙台市南部から海に注ぎ込む名取川上空にさしかかり、カメラを河口に向けた時だ。

 白い帯のような波が、かなりの速度で名取川をさかのぼってくる。

 「これが津波か?」

 波の遡上(そじょう)を追い続けるように言われ、ズームインする。ところが、その指示を無視しろと言わんばかりに、機長と整備士が叫んでいた。

 「もっと左! もっと左!」

 迷いつつ、レンズを左へと動…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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