まだ帰国子女が珍しかった時代に
さて、香港日本人学校で過ごした前々回の80年代に話を戻しましょう。小学3年生になった頃には友達もたくさんでき、学校が楽しくなりました。ところが12月末に日本に帰ることに。仲良しの友達と別れるのが寂しくてなりませんでした。でも帰国したら幼稚園の頃の友達にもまた会えるし、いじめられることもないだろうと思っていましたが、そうはいきませんでした。 当時はまだ帰国子女が珍しかった時代。クラスにはシンガポールに行く前に一緒に遊んでいた友達もいたので油断して、いつものおしゃべりが出ました。「とにかく大人しくして、聞かれた質問にだけ答える」という転校生の鉄則をすっかり忘れてしまったのです。 久々に友達と会えた嬉しさから海外での話をたくさんしたら、すぐに「自慢している」と嫌われてしまいました。おしゃべりがやめられないのはADHDの衝動性の表れかもしれませんが、本人としてはそれに加えて相手を楽しませようという気持ちもあるのです。 でもその「こうしたら楽しんでくれるだろう」見込みがずれていたのですね。本当に学習能力がないというか……シンガポールに行く前にも、外国に引っ越すのが嬉しくて友達に話しまくり「それ自慢だよ」と咎められたのに、なぜそんなうかつなことをしたのでしょう。同調圧力が高く、嫉妬心の強いコミュニティにおいて、ADHDのある人や帰国子女が無傷で生き延びるのは至難のわざです。 過去のことをすぐに忘れてしまうのも、世渡りには不利かもしれません。私は自分でも呆れるほど、きれいさっぱりと昔のことを忘れてしまうのです。日めくりカレンダーのように、脳内の作業机の上にあるのはいつも目の前の「今」です。ちぎり取った過去はどこかにいってしまいます。 世の中には、時系列でみっしりと書き込んだ手帳を小脇に抱えて生きているような人もいますよね。そういう人はちゃんと昔の出来事や出会った人を覚えているし、明日の予定も頭に入っています。私は毎日ページをちぎってはその辺に放っておくものですから、記憶の順番もぐちゃぐちゃで、大抵のページは山に埋もれてしまいます。そうやって目の前のタスクだけを見て生きているので、次の予定すらわかっていないことがほとんどです。翌日にならないと、その日やることに意識が向きません。 これも本人としては魔法にかかったような心持ちなのですが、「次の予定を確認する」ということ自体を思いつかないのです。いくらカレンダーに書き込んでも、スマホやパソコンにリマインダーをセットしても、意味がありません。リマインダーが画面に表示した予定を、目は見ていても脳が見ていないので全く記憶に残らない。あるいは一瞬「ああ」と思ったらすぐ今考えていたことに戻ってしまうので、あっという間に上書きされてしまいます。 夢中で本を読んでいるときにページの間に横からメモを挟まれても「邪魔だな」と思うだけで、ページをめくったらもうメモの存在を忘れてしまうようなものです。時々、そうやってページに挟まったまま忘れられているメモがパラリと落ちてきて、「わああああ」と慌てることもしょっちゅうですし、誰かに言われるまで気づかないこともあります。何か予定したことを予定通りにやるには、それが書かれたメモを常に今読んでいるページにはさみ直さないといけません。つまり、意識の最上面にタスクを置き続けない限り、一瞬で埋もれてしまうのです。 というわけで、メールはフラグをつけてもすぐに画面の底に沈み、1週間以上経って偶然掘り出されるのを待つことになります。仕事の仲間には、急ぎの用事は必ずメッセージアプリとメールを併用して連絡し、それでも応答がない時は電話してくれるようにお願いしています。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース