「証言できる最後の館長」の重圧 無傷の私が覚悟を決めた日

 「荷が重くて館長の仕事から逃げていた」

 9代目として4年間、館長を務めた広島平和記念資料館前で、原田浩さん(83)はそう振り返った。

朝日新聞広島版で14年続く連載「聞きたかったこと」。 約400人が被爆体験とその後の人生を語ってくれました。被爆77年の今年、忘れられない「あの場所」で再び話を聞きました。 当時の記事も再録しています。

 広島市職員だった1993年、館長就任を告げられたときは正直戸惑った。6歳の時、爆心地から約2キロの広島駅のホームで被爆。頑丈な駅舎に守られ直撃は免れた。歴代館長は自らの被爆体験を来館者に語り、服を脱いでやけどの痕を見せる館長さえいた。自分はほぼ無傷。被爆証言ができる最後の館長、そう言われるのが重圧だった。

 だが就任5日目、米国立スミ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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