「質問は一番に」生きる恩師の教え バスケ女子代表・林咲希主将

 バスケットボールの第76回全国高校選手権(ソフトバンク ウインターカップ2023=WC、朝日新聞社など特別協力)が23~29日の日程で始まる。九州・山口から男子11校、女子10校が出場する。福岡県出身で、女子日本代表主将の林咲希選手(Wリーグ富士通レッドウェーブ)に大会の思い出や後輩へのエールを聞いた。(榎本瑞希、太田悠斗)

 ――精華女子(福岡市)時代はどんな日々でしたか。

 バスケが大好きで、精華の練習が「一番きつくて一番楽しい」と感じ、進学しました。きつい練習でも誰かが引っ張り、声を出してやっていく。チーム全員でやることの大切さ、楽しさを経験しました。

 監督の大上晴司先生は、選手にコートネームを付けてくれました。私は「競」と書いてセリ。リバウンドや走ること、粘り強さなどで競り勝つ、という意味が込められています。やりこむ力はあったので、「大上先生が考えている以上の選手になりたい」と考えて取り組みました。

 ――3年時はインターハイに出場し、国体では県選抜チームで全国2位になりました。ただ、WCは一度も出場できませんでした。

 3年の県大会決勝が忘れられません。中村学園女子に延長の末、1点差(71―72)で敗れました。最後の攻撃がパスミスで終わっちゃって。私自身、緊張もあったし、相手の警戒も感じてしまい、思い切ったプレーが出来なかった。精華でのバスケが終わるという悲しさで涙が出ました。

 ――大上監督から、毎朝いつも一番乗りで体育館に来て練習していた、と聞きました。それは、引退後も続いたそうですね。

 「休む」ということが自分の頭にはなくて、引退後も後輩に伝えるべき仕事があるので、普通に行ったんだと思います。バスケが楽しいから、とりあえず体育館に行って、後輩のリバウンドを取ったのかな。シュート練習をたくさんしたのは覚えています。

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 ――白鷗大ではシューターに…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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