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萩生田光一文部科学相が10月24日、2020年度から始まる大学入学共通テストで活用される英語の民間試験について、テレビ番組で「(英語民間試験は)自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」と発言したことが、大きな波紋を呼んだ。その後、2020年度からの実施が予定されていた英語の民間試験の導入の見送りが発表されるなど、今も混乱が続いている。
おそらく、萩生田大臣のこの「身の丈」発言を多くの人が問題視した理由は、これが日本の文部行政の最高責任者が出身地や家庭の経済状況によって受けられる教育に格差が生まれる「教育格差」を是認したものと受け止められたからだろう。
理想的な平等社会の実現などいつの世にも不可能かもしれないが、志を持った者が努力すれば目標を実現できる社会ではありたいと誰もが願うのではないか。そして、それを実現するために教育機会の均等が重要な意味を持つことは論を俟たない。
また、日本は人種的にも同一性が高い上、皇族などの例外を除けば目に見える身分制度もなく、また義務教育も徹底されていることなどから、少なくとも人種差別や階級制度の名残が根強く残る欧米社会などと比べると、ある程度教育機会の均等は確保できていると思っている人が多いのでは ないだろうか。
ところが、早稲田大学留学センター准教授で教育社会学者の松岡亮二氏は数々のデータを元に、日本には親の学歴、家庭の経済状況、そして住む地域によって厳然たる教育格差が存在し、それは幼年期から始まり一生ついて回るものになっていると指摘する。また、日本の教育格差は先進国としては、大きすぎも小さすぎもしない、平均的なものだとも語る。
松岡氏は萩生田発言は格差を容認した発言というよりも、多少の格差はあってもそれを乗り越えるように頑張って欲しいという激励の 意味で言ったものではないかと、これを好意的に解釈し、萩生田氏自身も後にそう釈明している。しかし、もしそうだとすると、この発言は二重の意味で罪深いことになる。なぜならば、現在の日本に厳然と存在する教育格差は、萩生田氏の言う程度の努力や覚悟で簡単に乗り越えられるような甘いものではないことが、松岡氏の分析で明らかになっているからだ。
松岡氏によると、親の学歴や地域による教育格差は幼少時の家の蔵書数や躾けの仕方、お稽古事の開始時期やその数などいから広がり始め、それが小学校、中学校、高校と上がるにつれて固定化したり、広がることはあっても、ほとんど縮小されることはないという。つまり、生まれながらにして生じている格差を、今の日本の教育は縮小したり是正したりすることができていないというのだ。
これはほんの一例に過ぎないし、大学に行くことが教育の最終目的ではないが、例えば1986年から95年生まれの男性について見ると、父親が大卒の子が大卒者となる割合は80%であるのに対し、父親が大卒ではない子の大卒者の割合は35%にとどまる。また、同じグループで見た時、大都市出身だと大卒者は63%なのに対し、郡部(大都市圏以外)出身では大卒者は39%にとどまる。一般的に出自と呼ばれるような出身階層や親の学歴、出身地域などの帰属的特性をSES(社会経済的地位)という言葉で表すが、日本ではSES格差がほぼそのまま教育格差に反映されているのが実情なのだ。端的に言えば、親が大卒で経済的に裕福で大都市で生まれた子供の方が、そうでない子どもに比べて、明らかに教育機会に恵まれており、現在の日 本の教育制度はこれを是正する機能を発揮できていないということだ。
とは言え、萩生田発言はこれまで必ずしも十分に認識されてこなかった日本の教育格差の実態に目を向ける契機を与えてくれたという意味では、非常に重要な意味を持っていた。問題はそれを契機にわれわれがどのような社会を志向しているのかをあらためて問い直した上で、そのためには現在の教育格差をどうするべきかをしっかりと議論し考え、行動に移す必要がある。
日本には義務教育があるが、単に機会を与えるたけでは、格差は縮小しないと松岡氏は言う。義務教育課程でも学校間格差や地域間格差が顕著なため、これだけでは格差の縮小には寄与しないのだ。既に固定化してしまった格差を解消するためには、よりアファーマティブなアクション(積極的な是正措置)が必要となる。
天然資源を持たない日本にとって人材は唯一の資源だと言っても過言ではない。その意味で教育は国家百年の計に関わる最重要課題だ。今回の問題発言によって露わになった日本の教育格差の現状を、単なる大学入学共通テスト問題や政局問題にすり替えず、われわれ大人たちは、自分たちが子供の時にもっとこういう教育制度があればよかったとか、もっとこういう機会が欲しかったというような、自分たち目線に置き換えて議論することが必要ではないか。
様々なデータを元に日本の教育制度の現状に鋭く切り込む松岡氏と、日本の教育格差の現状と処方箋について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 萩生田光一文部科学相が10月24日、2020年度から始まる大学入学共通テストで活用される英語の民間試験について、テレビ番組で「(英語民間試験は)自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」と発言したことが、大きな波紋を呼んだ。その後、2020年度からの実施が予定されていた英語の民間試験の導入の見送りが発表されるなど、今も混乱が続いている。
おそらく、萩生田大臣のこの「身の丈」発言を多くの人が問題視した理由は、これが日本の文部行政の最高責任者が出身地や家庭の経済状況によって受けられる教育に格差が生まれる「教育格差」を是認したものと受け止められたからだろう。
理想的な平等社会の実現などいつの世にも不可能かもしれないが、志を持った者が努力すれば目標を実現できる社会ではありたいと誰もが願うのではないか。そして、それを実現するために教育機会の均等が重要な意味を持つことは論を俟たない。
また、日本は人種的にも同一性が高い上、皇族などの例外を除けば目に見える身分制度もなく、また義務教育も徹底されていることなどから、少なくとも人種差別や階級制度の名残が根強く残る欧米社会などと比べると、ある程度教育機会の均等は確保できていると思っている人が多いのでは ないだろうか。
ところが、早稲田大学留学センター准教授で教育社会学者の松岡亮二氏は数々のデータを元に、日本には親の学歴、家庭の経済状況、そして住む地域によって厳然たる教育格差が存在し、それは幼年期から始まり一生ついて回るものになっていると指摘する。また、日本の教育格差は先進国としては、大きすぎも小さすぎもしない、平均的なものだとも語る。
松岡氏は萩生田発言は格差を容認した発言というよりも、多少の格差はあってもそれを乗り越えるように頑張って欲しいという激励の 意味で言ったものではないかと、これを好意的に解釈し、萩生田氏自身も後にそう釈明している。しかし、もしそうだとすると、この発言は二重の意味で罪深いことになる。なぜならば、現在の日本に厳然と存在する教育格差は、萩生田氏の言う程度の努力や覚悟で簡単に乗り越えられるような甘いものではないことが、松岡氏の分析で明らかになっているからだ。
松岡氏によると、親の学歴や地域による教育格差は幼少時の家の蔵書数や躾けの仕方、お稽古事の開始時期やその数などから広がり始め、それが小学校、中学校、高校と上がるにつれて固定化したり、広がることはあっても、ほとんど縮小されることはないという。つまり、生まれながらにして生じている格差を、今の日本の教育は縮小したり是正したりすることができていないというのだ。
これはほんの一例に過ぎないし、大学に行くことが教育の最終目的ではないが、例えば1986年から95年生まれの男性について見ると、父親が大卒の子が大卒者となる割合は80%であるのに対し、父親が大卒ではない子の大卒者の割合は35%にとどまる。また、同じグループで見た時、大都市出身だと大卒者は63%なのに対し、郡部(大都市圏以外)出身では大卒者は39%にとどまる。一般的に出自と呼ばれるような出身階層や親の学歴、出身地域などの帰属的特性をSES(社会経済的地位)という言葉で表すが、日本ではSES格差がほぼそのまま教育格差に反映されているのが実情なのだ。端的に言えば、親が大卒で経済的に裕福で大都市で生まれた子どもの方が、そうでない子どもに比べて、明らかに教育機会に恵まれており、現在の日本の教育制度はこれを是正する機能を発揮できていないということだ。
とは言え、萩生田発言はこれまで必ずしも十分に認識されてこなかった日本の教育格差の実態に目を向ける契機を与えてくれたという意味では、非常に重要な意味を持っていた。問題はそれを契機にわれわれがどのような社会を志向しているのかをあらためて問い直した上で、そのためには現在の教育格差をどうするべきかをしっかりと議論し考え、行動に移す必要がある。
日本には義務教育があるが、単に機会を与えるたけでは、格差は縮小しないと松岡氏は言う。義務教育課程でも学校間格差や地域間格差が顕著なため、これだけでは格差の縮小には寄与しないのだ。既に固定化してしまった格差を解消するためには、よりアファーマティブなアクション(積極的な是正措置)が必要となる。
天然資源を持たない日本にとって人材は唯一の資源だと言っても過言ではない。その意味で教育は国家百年の計に関わる最重要課題だ。今回の問題発言によって露わになった日本の教育格差の現状を、単なる大学入学共通テスト問題や政局問題にすり替えず、われわれ大人たちは、自分たちが子どもの時にもっとこういう教育制度があればよかったとか、もっとこういう機会が欲しかったというような、自分たち目線に置き換えて議論することが必要ではないか。
様々なデータを元に日本の教育制度の現状に鋭く切り込む松岡氏と、日本の教育格差の現状と処方箋について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
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松岡 亮二(まつおか りょうじ)
早稲田大学留学センター准教授、教育社会学者
ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程修了。博士(教育学)。東北大学大学院COEフェロー、統計数理研究所特任研究員、早稲田大学助教を経て現職。著書に『教育格差』。
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(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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