「遊びがないと糸が切れる」先人の遺志を引き継ぐ青年冒険家は、“なまはげ”を持ち南極探検に挑む(FNNプライムオンライン)

秋田県出身の冒険家・阿部雅龍さんの夢は、100年前に南極探検に挑み、道半ばで引き返した白瀬矗(しらせ のぶ/秋田県出身)と同じルートを歩き、その後を継いで南極点に立つこと。 【画像】選んだ南極ルートはこんなにも厳しい! その夢に大きく近づく一歩として、2018年11月に日本人未踏破のルートでの南極点到達に挑戦した。 スタート地点から南極点まではおよそ900キロ。 単独、そして徒歩で40日間で踏破できるはずだったが…。 前編では、夢に向かって進み続ける青年冒険家が、南極探検に邁進する姿を追った。
 

読書好きな少年はなぜ冒険家になったのか

東京・浅草。ここで人力車夫として働いているのが阿部雅龍さんだ。 地元秋田の大学を卒業後、上京。
この街で十年以上、人力車をひいている。 人力車夫は、資金稼ぎとトレーニングを兼ねた仮の姿。 阿部さんにはもうひとつの顔がある。
それは、危険と隣り合わせの場所に挑む冒険家だ。 1982年秋田県秋田市生まれの阿部さんは、子供の頃は体が弱く、人付き合いが苦手。 自然に囲まれて育ち、本を読むのが好きな少年だった。 転機が訪れたのは大学生の時だという。 進路に悩み、考え抜いた末、子供の頃に伝記を読んで憧れた冒険家になることを決意した。 周囲の反対を押し切って大学を休学し、2005年には自転車での南米大陸縦断に出発。 現地の言葉も話せない中での一人旅だったが、290日で1万1000kmを走破し、冒険家としての道を歩み始めた。 2010年から翌11年は、ロッキー山脈5400kmを単独縦走。 2012年には、自作のいかだでアマゾン川を下り、2014年からは3度に渡り北極圏を冒険してきた。 国内でも、2017年に鹿児島から秋田まで人力車を引く旅にチャレンジ。全国に68カ所ある一宮神社を巡った。 阿部さんは、冒険家としての大きな夢があると話す。 「白瀬矗という人ですね。南極点にチャレンジして、南極を犬ぞりで歩いた人なんですが、彼は南極点には行けなかったんです。彼ができなかった南極の夢というものを、100年後の今、実現させるというのが僕の夢です」
 

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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