矢島大輔
「空襲から避難するシェルターにも、必ずサッカーボールを持っていったそうです」
大阪府豊中市に住む、クロアチア出身の山崎エレナさん(51)は、親交があるルカ・モドリッチ選手(37)の父親から聞いたエピソードを明かす。
茶道を学ぶために1990年代に来日後、日本人男性と結婚。NPO法人「日本クロアチア交流協会」を自宅で営み、通訳やコーディネーターとして両国をつないできた。モドリッチ本人とも知り合いだ。
首都ザグレブ出身。クロアチアでは91~95年まで内戦が続き、エレナさんの自宅のタンスには、自衛のための手榴弾(しゅりゅうだん)がゴロゴロ入っていた。モドリッチ選手は子どもの頃、避難先のホテルや地雷が埋まった広場でボールを蹴っていたという。「それが私たちの日常やったんです。戦争の苦労は忘れられません」
エレナさんはサッカーに関心はなかったが、祖国が初めてW杯に出た98年のフランス大会で変わった。戦禍から立ち上がった代表が3位に入ったときは涙があふれ出た。
今回のW杯は、ロシアによるウクライナ侵攻のさなかに開催され、複雑な気持ちでいる。「騒いでてええんかなって。祈るしかない」
クロアチアと日本。両国のチームの活躍を願っているが、今回は日本を応援する気持ちが強いのだという。「コツコツ続けてきた努力がようやく実る場やねん。歴史をかえるチャンスやねん」(矢島大輔)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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