三沢敦
10日に開幕する全国高校野球選手権大会。被爆地・長崎代表の長崎商の部員らは9日、76年前に原爆が投下された午前11時2分、滞在先の大阪府堺市の室内練習場で黙禱(もくとう)した。この日の甲子園の開会式は延期になったものの、被爆3世のマネジャー簗瀬彩巴(いろは)さん(3年)は平和への願いを胸に、選手らと夢の舞台に立てる喜びをかみしめた。
爆心地に近かった当時の校舎は壊滅的な被害を受け、学校や動員先で生徒や教職員ら174人が犠牲になった。学校には慰霊碑があり、毎年8月9日に全校生徒が登校して慰霊祭が営まれ、平和について学ぶ。
簗瀬さんは夏になる度、亡き祖父、矢一さんから聞いた話を思い出す。「乗っていた電車がトンネルにさしかかった時、原子爆弾が落ちたんだ」「姉に手を引かれて必死で逃げたよ。トンネルを抜けると、いつもと違う世界だった」。矢一さんは当時、3歳。かすかな記憶をたぐり寄せ、繰り返し聞かせてくれ、こう言った。「本当に怖かった」
長崎商が同じ舞台に立った5年前、矢一さんは75歳で亡くなった。丈夫で元気なおじいちゃんだと思っていたが、白血病で闘病生活を送っていた。
夏の甲子園は過去3度中止になった、と聞いた。理由の一つが戦争、一つが新型コロナウイルス。コロナの影響で戦後初めて開催が見送られた昨年、泣きじゃくる先輩たちにかける言葉も見つからなかった。
いまなお続くコロナ禍で野球ができることへの感謝と、平和への感謝――。「野球ができるのは当たり前なんじゃない。きっと特別なことなんだ」。二つの感謝が重なる夏だ、と簗瀬さんは感じている。(三沢敦)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル