「降ってわいた」国内初の世界遺産 屋久島が投じる一石

 「奄美・沖縄」は国内最後の世界自然遺産とされる。そこから北にいくと「洋上のアルプス」と称され、豊かな森が広がる屋久島鹿児島県)がある。1993年に国内初の自然遺産に登録されると、多くの観光客が訪れた。島はにぎわったが、問題も起きた。登録後の島の歩みは世界遺産のあり方に一石を投じている。

 《人類共通の財産として末永く受け継ぎ、登山者のみなさまに安心で安全な自然体験を提供するため――》

 縄文杉に向かう荒川登山口に「入山協力金」の支払いを求める看板が立つ。

 協力金は国や屋久島町などでつくる屋久島山岳部保全利用協議会が2017年に導入した。中学生以上の登山者から日帰りで千円、山中泊で2千円を任意で集める。登山道整備や山小屋のトイレにたまったし尿の搬出などに使われる。

 樹齢千年を超す屋久杉の森や、海岸から山岳部に続く「垂直分布」と呼ばれる多様な植生が評価され、屋久島白神山地青森県秋田県)と共に世界遺産に登録されたのが93年。日本が世界遺産条約を締結した翌年だった。

 「国や県が主導した登録で、突然降ってわいた話だった。地元は準備も対策もできていなかった」。森林伐採に反対する「屋久島を守る会」の代表だった兵頭昌明(まさはる)さん(79)は振り返る。

 世界遺産の効果で、93年度に約20万人だった入り込み客は徐々に増え、03年度に30万人、07年度に40万人を超した。問題になったのが、島のシンボル「縄文杉」への観光客の集中だった。登録時には100人に満たない日が多かった登山者が、ピーク時には1日千人超が押し寄せた。片道5時間の登山道は渋滞して人が数珠つなぎになり、トイレは1時間待ちの時も。

 木の根が踏み荒らされた縄文杉の周辺には展望デッキが設けられた。山中に埋めていたし尿は、処理量が増えたため人力の搬出に切り替えた。搬出作業の費用を当初は寄付金で賄おうとしたが赤字が続き、入山協力金を徴収することになった。

 屋久島観光協会の元会長、松本毅さん(64)は、下り坂の林業から観光中心の島に転換した地域振興の「世界遺産効果」を認める一方、登録から派生して起きた様々な問題について「第1号の宿命だが、事前に予想ができずにすべて後手に回った」と話す。

 町は11年、縄文杉周辺の立ち入りを「日帰りで1日360人」と規制する条例案を提出したが、観光への影響の懸念は根強く、町議会は全会一致で否決。自然の「保護と利用」のバランスをめぐって、足並みがそろわない島の状況を表す一幕もあった。

 ブームが落ち着くと入り込み客は減少傾向となり、19年度には約25万人に。縄文杉をめぐる混乱もほぼ解消され、人数制限の問題は棚上げされたままだ。

 一方で、検討に約10年を要した観光ガイドの登録・認定制度の他、登山口への車両乗り入れ規制や入山協力金など、徐々に進む対策もある。

 屋久島は今年4月、「世界トップ25」の国立公園をめざす重点地域として、国内5カ所のうちの一つに国から選ばれた。地域の価値を高めるため、縄文杉頼みではない観光のあり方が改めて検討されている。

 自らもガイドを務める松本さんは「一本の木がすごいのではなく、それを育んだ島の自然全体のすごさを伝えたい」と訴える。

 「奄美」の遺産登録で、鹿児島県には全国で唯一、二つの世界自然遺産が並び立つ。屋久島観光協会は「客が奄美に流れるのではという懸念の一方で、周遊を促して相乗効果を図ろうという機運もある」と話す。新たな登録地の誕生が、先進登録地にも刺激を与えそうだ。(奥村智司、屋久島通信員・武田剛)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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