偏見や差別と闘い続けてきたハンセン病の回復者たち。9月14日、全国の療養所で暮らす入所者でつくる「全国ハンセン病療養所入所者協議会」の事務局長を務めた藤崎陸安さんが脳出血で亡くなった。80歳だった。
青春時代に仲間と「隔離の島」を抜け出す豪胆な人だった。青年期からは、当事者の名誉回復と福祉の増進をめざす運動に身を投じた。
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ハンセン病に関する取材は、暗く重い話が多い。それでも時に、痛快な出来事に巡り合う。
瀬戸内海に浮かぶ岡山県の長島にかつて、全国で唯一、ハンセン病の若者が通える定時制高校「新良田(にいらだ)教室」があった。
ある年、野球部員が島を抜け出して遠征へ出かけた。その大胆不敵なメンバーの一人が藤崎さんだった。
秋田県出身で4人兄弟の末っ子。小学3年の時、ハンセン病と判明。1952年に青森県の療養所に強制隔離された。
59年、新良田教室に入学。軟式野球部に入り、治療を受けながら勉強と部活に励んだ。
戦後、ハンセン病は治療薬ができて「治る病気」になっていたが、島を出るには特別な理由が必要だった。
60年、部員10人が「家族…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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