第2次世界大戦末期、米本土攻撃のため本州太平洋沿岸から日本軍が放った気球「風船爆弾」。その材料に使われた和紙の産地の一つで「放球基地」もあった福島県いわき市で、この夏、和紙を使って気球を作る人たちがいる。「郷土の負の歴史を平和の象徴に」と、ウクライナから来た留学生らに平和のメッセージを書いてもらうイベントを企画している。
「こんなに大きいのは久しぶりだな」。同市遠野町根岸でかごなどを作る竹細工職人の男性(62)が、上遠野(かとうの)仁さん(72)に声をかけた。男性は、長さ約4メートルの真竹を幅1・5センチほどに縦に切り、なたを使って表面と内側を同じ厚さにはいで、直径約1メートルの球形の骨組みを組んでいた。
作っているのは風船爆弾の10分の1ほどのオブジェだ。竹の骨組みに、地元で漉(す)いた和紙を貼り、内装用の和のりで塗り固める。当時の風船爆弾は直径約10メートル、和紙をコンニャクのりで固めて貼り合わせた球体に水素ガスを入れた。高度保持装置や爆弾などをつり下げ、1944~45年春に約9300個を放った。偏西風に乗って1割ほどが米本土に到達したとされ、子どもら米国の民間人が爆弾の犠牲になった。
全国に3カ所あった陸軍の放球基地のうち、1カ所がいわき市の勿来にあった。球皮の材料には同市の「遠野和紙」も使われた。郷土史に詳しい知人から聞かされ、戦後生まれの上遠野さんは衝撃を受けた。
「子どもを殺していたのか」…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル