原爆投下後の爆心地付近におかれ、平和のシンボルとして親しまれた広島大仏。復興に向かおうとする街で、少女は母親の入院費と3人の弟の生活費を稼ぎながら、生活の安定を願って祈りを捧げた。その後、長らく行方不明になっていた大仏はこの夏、67年ぶりに広島に「里帰り」。91歳になった少女は大仏と再会し、感謝の思いを伝えた。
10日、広島市中区の本通商店街。太鼓やホラ貝の音に合わせ、広島大仏を台車に載せて練り歩く「広島本通り大行列」が開かれた。
午後2時ごろ、同区新天地のアリスガーデンを出発。商店街を通って平和記念公園で折り返した。おそろいの黄色いTシャツを着た市民ら約200人が往復約2キロのルートを練り歩いた。
広島大仏は高さ約3メートルの木像で、1950年8月に原爆ドーム東側の西蓮寺に安置された。この日の大行列は、同月に復興を願って本通商店街で行われたパレードを再現したものだ。
焼け野原の広島 大仏に救われた少女
「焼け野原に店や家がやっと建ち始めた頃、大仏さんがやってきた」。広島市西区の梶本淑子(よしこ)さん(91)は当時をこう証言する。
45年8月6日。14歳だっ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル