眼光鋭く、似合いすぎるオールバックで客席を睥睨(へいげい)する。そうかと思えば、蠱惑(こわく)の音色で聴き手の心をわしづかみにする。北九州市文化大使でもあるNHK交響楽団第1コンサートマスター、篠崎史紀(ふみのり)さん(56)の演奏の神髄とは――。
日本を代表するバイオリニストの一人で、N響の顔。音楽雑誌に連載したり、NHKの音楽番組でナビゲーターを務めたり、多方面に活躍する。見かけによらない軽妙なトークも絶品で、いまや唯一無二の立ち位置を確立している。
生まれは北九州市。音楽教室を開いていた両親から、3歳で手ほどきを受け始めた。江藤俊哉氏らに師事し、15歳で全日本学生音楽コンクール全国第1位。英才教育の王道を邁進(まいしん)していたが、バイオリニストになる気などさらさらないような少年だった。
ウルトラセブンに恋い焦がれ、仮面ライダーに夢中になった。18歳でウィーンに留学したのも「007」になりたくて。映画館のスクリーンで「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーと巡り合ってからは、宇宙飛行士に憧れた。
バイオリンとともに生きると決めたのは21歳のとき。ウィーンで友人たちと将来を語り合うなかで、一生続けられるものは何かと考え、腹をくくった。この楽器となら、死ぬまで一緒にいられる気がした。
帰国後は群馬交響楽団、読売日本交響楽団の要職であるコンマスを歴任し、1997年に現職に就いた。
花道を歩んできたが、気負いはない。「音楽って生きるか死ぬかでやるものではないし、人と比べるものでもない。要するに昨日の自分より楽しくいられるかということ」
篠崎さんの音色にヒリヒリとした悲壮感はない。音を奏でる喜びにあふれ、音符がみずみずしく羽ばたく。「バイオリンを苦しいと思ったこともなければ、やめようと思ったこともない」というのも納得だ。
一方、クラシック音楽という、数百年にわたって続いた再生と伝承の文化を担う自負も忘れない。もっと日常生活に溶け込んでほしいとも願う。だからこそ気取らず構えず、自在に振る舞い自由に生きる。たとえ「N響のコンマス始まって以来の変人」と言われようとも。
気ままといえば、ミドルネームだ。ウィーンにいたころ、自分の姓も名も外国人には発音しにくいと知った。そこで名乗るようになったのが「MARO(マロ)」。浮世絵の人物に顔つきが似ているからと、小学校時代についたあだ名だった。いまではすっかり定着し、海外の指揮者から、N響事務局に「MAROはいるか」と電話がかかるほど。名刺の裏にも「MARO」と入れる。
日本のクラシック界の常識を変えたといわれる東京・銀座の王子ホールの名物室内楽公演は、「MAROワールド」。出演者と客席が刺激し合い、ともに成長できるサロンのような空間を目指して2004年に始まった。
舞台へ出たら、いきなり話を始めるのだから聴衆は驚く。プログラムにない曲を若手演奏家たちに振るなど、むちゃな展開が繰り広げられるのはいつものこと。かつてない形式の音楽会として全国に名をはせる。
日本のクラシック界に巨石を投じたのは間違いなく、トーク付き演奏会の走りとされる。それなのに、「ぼく、しゃべるの苦手なんだよねえ」とうそぶき、「いつまでたっても子どもなの」と笑う。
いま東京芸術大と桐朋学園大、昭和音楽大で教える。学生たちに求めるのは自由にして自律すること。そして自分のあこがれを持つことだ。
最初の授業で「君のヒーローは?」と生徒たちに尋ねる。だが返答に詰まる学生が多い。「あこがれがなければ好奇心もわかない。そんな気持ちで弾いても、人に伝わるような音楽にはならない」
ではマロ先生のヒーローは? すると、急にウルトラマンに憧れた子ども時代に戻ったような表情で言った。「宇宙人」。こうニンマリ即答されたら参るしかない。(谷辺晃子)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル