米国に原爆を投下された日本は、米国の戦略下で原子力の平和利用を進める。そのただ中で、米国は太平洋・マーシャル諸島ビキニ環礁で水爆実験を行い、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)した。福竜丸の被害は、日本の針路を変えたのか。著書「夢の原子力」(2012年)で米国に追随する戦後日本を描いた、社会学者の吉見俊哉さん(66)に聞いた。
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米国は1945年、広島、長崎に原爆を落とし、核兵器が一発で敵に壊滅的な被害をもたらす経済的な兵器だと証明しました。兵士が通常兵器で戦う地上戦の場合、長期化すれば、たくさんの米兵の命が犠牲になる。兵力を維持するには、膨大な費用がかかります。「核兵器の方が安い」と考えたのです。
戦後、米国は世界の米軍基地に核兵器の配備を広げ、マーシャル諸島で核実験を繰り返します。旧ソ連が49年にセミパラチンスクでの初の核実験を成功させると、米国はさらに核実験を重ね、力を誇示しました。米ソの核開発競争が激しくなっていきます。
ソ連から核で攻撃されるかもしれないと国内外の世論をあおり、米国の軍事予算拡大に支持を得る。こうした「恐怖」の戦略には即効性があっても、長続きしません。金銭的にも心理的にも限界があります。そこで必要になったのが、「希望」の戦略でした。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル