「伝えたいことがあるから、帰ってから読んで」
三浦暢久さん(45)は、久々に会った両親が地元・宮崎に帰るとき、JR博多駅の改札前で手紙を渡した。
手紙で自分がゲイだと両親にカミングアウトしたのは、30歳のときだった。人波に消えていていく2人を見送ってからしばらく、連絡はなかった。「手紙がなかったことになってる?」
待つこと1カ月半。福岡のアパートに母からの返事が届いた。便箋(びんせん)は1センチほどの厚さだった。
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女の子とばかり一緒に行動していたことや言動からか、小学校高学年になると「オカマ」と呼ばれ、いじめられるようになった。
中学生のとき、いじめに気づいた母が学校に出向くこともあった。母からは「男らしくないからいじめられるったい」と言われた。
小さな本屋で、初めてゲイ雑誌を見た。男性の裸の写真に興奮した。「あぁ、自分と同じような人がいるんだ」
買って帰るわけにはいかない。立ち読みだけした。
高校で所属していた弓道部の部室に、先輩が「こんなん見つけた」と、ゲイ雑誌をもってきた。
部員と一緒になって笑った。でも、心の中は興味津々。いったん帰宅するふりをし、誰もいない部室に戻って雑誌を読んだ。
どん底の日々 本で気づいた人生観 カミングアウトを決意
高校卒業後は地元を離れ、福岡のファッション関係の専門学校に進んだ。雑誌で、ゲイバーが福岡にはあると知っていた。毎週のように通った。
仲間もできたけど、ゲイバーの外では気を張っている状態で、息苦しさや窮屈さを感じ続けていた。
雑談で「好きな女性のタイプは?」「好きな女優は?」と聞かれれば、事前に考えておいた回答を伝えた。兄2人はすでに結婚していて、母からは「あとはあんたの子さえ見られたら安心」と言われた。
28歳ごろから、苦しさに拍…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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