「2年間、心から笑ったことがない」。大阪の繁華街でバーを営む男性(52)は12月上旬の夜、客が一人もいないカウンターの中で、そうため息をついた。新型コロナウイルス禍の約2年のうち多くの時間は、休業中の店内でボトルやグラスを磨き、床や壁を掃除して過ごした。
レストランで働き始めたのは20歳の頃。フロアマネジャーとなり、充実した日々を過ごした。2~3年たったある日の空き時間、従業員のバーテンダーがウイスキーの水割りを作ってくれた。「安くてスタンダードなウイスキーの水割りだったのに、とんでもなくおいしかった」
そこから酒の研究にのめり込んだ。休憩時間にはシェーカーを振る練習をし、休みの日には勉強のために酒屋を回って片っ端から買い求め、味を確かめた。自分の店を持つことが夢となり、26歳で独立してバーを開いた。
酒がおいしいと評判となり、一時は3店舗を経営したが、10年ほど前、結婚を機に現在の1店舗に縮小した。「休みがなかったので、家庭を大切にしたいと思った」
1店舗でも、収入に困ることはなかった。30人が入れる店はいつもにぎわった。「好きな店を続けて人生を謳歌(おうか)できる」。そう信じて疑わなかった。
「休んでカネもらえてえーなぁ」後ろ指さされるかとおびえ
そんな中、コロナ禍で店を開けられなくなった。すぐに落ち着くと思ったが、終わりが見えない。
店を始めて四半世紀、転勤や…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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