検査抑制では実態みえず限界
4月7日、安倍晋三首相は、「緊急事態宣言」発出に向けた記者会見で108兆円の経済対策をぶち上げた。見た目は大きいが、実際に国が直接支出するのは一般会計と特別会計合わせて18・6兆円。その効果には疑問符がつく。
緊急事態宣言の最大の目的は、医療崩壊を食いとめることだ。冒頭に安倍首相が、医療従事者に「感謝」を述べたことからも、医療状況の逼迫がうかがえる。疲弊している医師、看護師、保健師、臨床検査技師らの士気を少しでも高めたい、と考えての謝意だろう。
では、宣言の重要なポイントは何か。
「人と人の接触機会を最低7、8割減らす」ことだ。首相はこう述べた。
「専門家の皆様の試算では、私たちが努力を重ね、人と人との接触を最低で7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、そして減少に転じていくことができるということであります」
この発言の意味は非常に重い。
あと知恵めいて恐縮だが、居合わせた記者たちは、ここにもっと突っ込まなくてはいけなかった。せっかく専門家の諮問委員会会長・尾身茂氏も同席していたのだから、接触機会の7、8割の減少が、ほんとうに緊急事態宣言の発出で見込めるのか。数字の根拠と可能性を質さなくてはいけなかった。政府の根本策の是非を問う必要があったと私は思う。
ならば、根本策とは何か。「患者クラスター(集団)潰し」による感染拡大予防である。
これまで、私たちはPCR検査の少なさに疑問を感じながら、日々発表される感染者数を注視してきた。日本は、国立機関の感染症研究所と地方衛生研究所・保健所が中心となり、PCR検査を諸外国に比べて極端に少なく抑え、重症者を重点的に治療する態勢をとってきた。理由を問われると、検査のキャパシティに限りがあり、検査数を増やせない。増やした結果、多くの患者が医療機関に殺到したら現場がパンクするなどと専門家は言ってきた。
PCR検査が、政府が目安とする1日4000人を超えたのは、濃厚接触者への検査を含めて、4月3日が初めてだった。PCR検査に保険適用されて1か月後のことだ。
しかし翌4日の検査数は3305人、5日の日曜は271人、6日は218人と減っており、4日間の1日平均は2200人足らず。その間も新規感染者数は毎日235人~378人へと急増した。4月7日にPCR検査数が一挙に7876人まで増えると、翌8日の新規感染者数は500人を突破した(データは東洋経済オンライン「新型コロナウイルス 国内感染の状況」より)。韓国並みの1日1万6000人まで検査数が増えたら新規感染者は1日1000人を超えるのではないか。新型コロナウイルスはもう十分に蔓延している。
一方で、新型コロナ感染症は、感染症法の指定感染症なので、PCR検査陽性なら重症者も軽症者も無症者もすべて入院という矛盾を抱える。結果的に東京都は、ベッド不足が顕著となり、借り上げたホテルなどに軽症者などを移し、重症者については最大推計値に合わせて4000床確保へと動いた。他の府県も軽症者の施設、自宅療養へと舵を切った。
このような状況に至ったのは、官邸、厚労省、感染症専門家たちの感染拡大予防策が「患者クラスター潰し」を根本に置いているからだ。医師の届け出等からクラスター発生を早期に把握。積極的疫学調査で感染源などを同定し、濃厚接触者の健康観察、外出自粛の要請や関係する施設の休業、イベント自粛の要請などで感染拡大を防ぐというもの。一定の効果はあり、諸外国に比べて日本の感染拡大スピードは遅い。どうにか持ちこたえている。
しかし、感染経路が追えない患者が激増する。感染源がわからない。クラスター潰しの根本策を維持すれば、一定の効果はあるので、感染ピークをずるずる後ろに延ばせるかもしれないが、社会的、経済的負荷も延々と続く。ヘビの生殺し状態が長期化する恐れがある。
はたして緊急事態宣言の発出で「人と人の接触機会を最低7、8割削減」し、「増加をピークアウトさせ、減少に転じる」ことはできるのか。ヘビの生殺しに終止符を打てるのか。
諸外国はクラスター潰しに見切りをつけ、ロックアウト(都市封鎖)に転じた。中国は、武漢を封鎖し、感染発生集積地に1000床の病院を10日で2棟建て、5万人の医療従事者を投入して新型コロナを抑えこんだ。韓国もITデータを駆使して感染者個々を徹底的に追って隔離し、大邱の感染爆発にも対応している。いずれにせよ感染情報が鍵を握る。
日本はこのまま自粛要請で成算があるのか。記者会見で、この根本問題に触れたのは、イタリア人記者だけだった。検査数を抑えてクラスターをたどる手法を「賭け」と言った。
「いままでご自分で対策を投じたなかで、一か八かの賭けが見られますね。成功だったら、もちろん国民だけではなくて世界から絶賛だと思いますけれども、失敗だったらどういうふうに責任を取りますか」とイタリア人記者は訊ねた。
これに対し、安倍首相が「最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません」と責任回避したことがネットで話題になっているが、より問題なのは「われわれは他の国とは違ってクラスター対策というのをやっています」と言ってのけた点だ。さすがに脇に控えていた尾身氏が、「今、総理がおっしゃったクラスター対策、日本だけというわけではないですけれども、日本が初期の頃からやっている」と補足し、何とか持ちこたえてこられたのは「国民の意識」「しっかりした医療制度」が機能しているからだと述べた。根本策を変えるつもりはないらしい。
感染状況の全体像がつかめぬまま、国民の意識や、医療制度を頼りにしていいのだろうか。
東大先端研がん・代謝プロジェクトリーダーで東大名誉教授の児玉龍彦氏は、4月4日配信のネットテレビ「デモクラシータイムス」で、世界の感染疫学と日本のズレをこう語った。
「世界の感染疫学は、遺伝子工学、情報工学に基づく感染者の膨大検査と、徹底追跡に移っています。スマホのアプリなどで、大量の人を大量のデータでより細かく追跡して手を打つ。アンケート調査で追いかけるのはほとんど意味がない。日本の専門家委員会は、かつてWHOなどでアジアの感染予防の指導した立派な方々がいますが、世界のトレンドが理解できなくて、昭和の懐メロみたいなやり方に固執したため問題が起きている」
「遺伝子全体の配列をみていくと、この新型コロナウイルスは進化のスピードが速くて、武漢からヨーロッパ、アメリカと渡る間にどんどん進化している。だから、ひょっとすると、同じものを相手にしていないかもしれない。ところが、専門家委員会にはコロナウイルスのきちんとした遺伝子の解析の話をする人が1人もいません」と児玉氏。
精神論を唱え、竹槍で戦車に突っ込むような結果にならなければいいが……。
■山岡淳一郎(作家)
1959年愛媛県生まれ。作家。「人と時代」「21世紀の公と私」をテーマに近現代史、政治、経済、医療など旺盛に執筆。時事番組の司会、コメンテーターも務める。著書は、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』(草思社)、『気骨 経営者 土光敏夫の闘い』(平凡社)、『逆境を越えて 宅急便の父 小倉昌男伝』(KADOKAWA)、『原発と権力』『長生きしても報われない社会 在宅医療・介護の真実』(ちくま新書)、『勝海舟 歴史を動かす交渉力』(草思社)、『木下サーカス四代記』(東洋経済新報社)、『生きのびるマンション <二つの老い>をこえて』(岩波新書)。2020年1月に『ゴッドドクター 徳田虎雄』(小学館文庫)刊行。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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