広島は6日、被爆から78年の原爆の日を迎えた。広島市の平和記念公園で開かれた平和記念式典で、広島市立牛田小6年の勝岡英玲奈(えれな)さん(12)と同市立五日市東小学校6年の米広朋留(ともる)さん(11)が「平和への誓い」を読み上げた。
「みなさんにとって『平和』とは何ですか」との問いかけから始まり、身近なところにも平和があることを紹介。復興し、緑豊かになった現在の広島から、自分たちができることは何か。「自分の思いを伝える前に、相手の気持ちを考えること。友だちのよいところを見つけること。みんなの笑顔のために自分の力を使うこと」とし、「身近にある平和をつないでいくために、一人一人が行動していきます。誰もが平和だと思える未来を、広島に生きる私たちがつくっていきます」と結んだ。
平和への誓い全文
みなさんにとって「平和(へいわ)」とは何(なん)ですか。
争(あらそ)いや戦争(せんそう)がないこと。
差別(さべつ)をせず、違(ちが)いを認(みと)め合(あ)うこと。
悪口(わるくち)を言(い)ったり、けんかをしたりせず、みんなが笑顔(えがお)になれること。
身近(みぢか)なところにも、たくさんの平和があります。
昭和(しょうわ)20年(1945年)8月6日 午前(ごぜん)8時15分。
耳(みみ)をさくような爆音(ばくおん)、肌(はだ)が焼(や)けるほどの熱(ねつ)。
皮膚(ひふ)が垂(た)れ下がり、血だらけとなって川面(かわも)に浮(う)かぶ死体(したい)。
子どもの名前(なまえ)を呼(よ)び、「目を開(あ)けて。目を開けて」と、叫(さけ)び続(つづ)ける母親(ははおや)。
たった一発(いっぱつ)の爆弾(ばくだん)により、一瞬(いっしゅん)にして広島(ひろしま)のまちは破壊(はかい)され、悲(かな)しみで埋(う)め尽(つ)くされました。
「なぜ、自分(じぶん)は生き残(のこ)ったのか」
仲間(なかま)を失(うしな)った私(わたし)の曽祖父(そうそふ)は、そう言って自分を責(せ)めました。
原子爆弾(げんしばくだん)は、生き延(の)びた人々(ひとびと)にも心(こころ)に深(ふか)い傷(きず)を負(お)わせ、
生きていくことへの苦(くる)しみを与(あた)え続(つづ)けたのです。
あれから78年が経(た)ちました。
今(いま)の広島(ひろしま)は緑豊(みどりゆた)かで笑顔あふれるまちとなりました。
「生き残ってくれてありがとう」
命(いのち)をつないでくれたからこそ、今、私たちは生きています。
私たちにもできることがあります。
自分の思(おも)いを伝(つた)える前(まえ)に、相手(あいて)の気持(きも)ちを考(かんが)えること。
友(とも)だちのよいところを見(み)つけること。
みんなの笑顔のために自分の力(ちから)を使(つか)うこと。
今、平和への思いを一(ひと)つにするときです。
被爆者(ひばくしゃ)の思いを自分事(じぶんごと)として受け止め、自分の言葉(ことば)で伝(つた)えていきます。
身近にある平和をつないでいくために、一人一人(ひとりひとり)が行動(こうどう)していきます。
誰(だれ)もが平和だと思える未来(みらい)を、広島に生きる私たちがつくっていきます。
令和(れいわ)5年(2023年)8月6日
こども代表(だいひょう)
広島市立(ひろしましりつ)牛田小学校(うしたしょうがっこう)6年 勝岡英玲奈(かつおか・えれな)
広島市立(ひろしましりつ)五日市東(いつかいちひがし)小学校(しょうがっこう)6年 米広朋留(よねひろ・ともる)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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