異国の地で、不安に包まれスマートフォンを握りしめつかの間の眠りにつく。いつ連絡があるか分からない。着信を逃したら帰国できないかもしれない─。
1月下旬、中国・湖北省武漢市。自動車部品メーカー「協和合金」(横浜市金沢区)の幹部、小嶋広人(59)は一変した街で焦燥に駆られていた。武漢市では公共交通機関がほぼ全て遮断され幹線道路は封鎖された。
同月26日、安倍晋三首相が「チャーター機など、あらゆる手段を追求して希望者全員を帰国させることにした」と表明した。前後して在中国大使館から電話があり、帰国希望の有無や、今いる場所、体調について問い合わせがあった。
現地法人の社長を務める小嶋は迷った。現場を放り出して帰国していいだろうか。あるいは残って事態を見守り、いざ工場の再開に備えた方がいいだろうか。
本社に問い合わせると社長の高島眞澄から即答が返ってきた。「まずは体の健康、安全が第一だ。帰って来られるなら早く帰ってこい」。
大使館担当者の案内にあった外務省のサイトで26日夜に氏名を登録した。
だがこの時点ではチャーター機がいつ飛ぶのか定かではなかった。在留日本人たちの間でチャットグループを組み情報を収集、共有し合った。
大使館の担当者から「いつでも出られる準備をしておいてください」と言われ数日分の洋服をかばんに詰め込み、ぶつ切りの浅い睡眠を取る。が、おちおち寝ていられない。電話に出そびれたら、第1便の搭乗者リストから漏れる可能性もある。次の便がいつ飛ぶか分からない。そうなったら─。あれこれと最悪の事態が頭をよぎる。
外出が禁止され、街を出歩く人はいない。家族は春節を前に妻の実家がある中国南西部の重慶市に移動していた。中国語がそれほど堪能ではない小嶋はなおさら心細く昼夜を過ごした。
28日の午後5時半、そして午後6時の2度にわたり大使館から着信が入った。
「バスがマンションの前に着く。午後9時半です。荷物を持って乗ってください。武漢空港から帰国します」
=敬称略
新型コロナウイルスの感染拡大で湖北省武漢市は封鎖され、周辺との行き来が遮断された。日系企業も集積するこの地から、感染の危機にさらされながら脱出した日本人たちがいた。あのとき、何があったのか─。現地法人幹部の報告を追う。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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