東日本大震災の発生から11日で13年。大切な人を失った悲しみや郷里への思いを抱えながら祈りを捧げました。かけがえのない日常と「次」への備えについて考える一日。各地の動きをタイムラインで記録しました。
■■■3月11日■■■
19:10
午後7時直前。宮城県石巻市渡波地区の真っ暗な防潮堤に、ぞろぞろ50人ほどの人が集まってきた。「星がきれい」と子どもの声が響く。その数分後、夜空を季節外れの大輪が彩った。
被災したメンバーらが立ち上げた地元のボランティア団体が企画した慰霊の花火だ。今年は能登半島地震の被災者への追悼と復興の願いも込められた。
仙台市から見に来た会社員の西尾亮汰さん(23)は、大震災の時は小学4年生だった。あの日の夜は家族と車の中で過ごしたが、真っ暗でどこの家も静かだったことを覚えている。「災害の時に花火はできないので、平和、普通の日々の大切さを感じた」としみじみとした様子だった。
19:00
夜空と水面に「白菊」の輪広がる 岩手県釜石市
岩手県釜石市の根浜海岸で、東日本大震災と今年1月の能登半島地震の犠牲者を追悼するため、白い花火「白菊」が3発打ち上げられた。空と水面に美しい輪が広がった。
白菊は、新潟県長岡市の花火師によって、シベリア抑留で死亡した戦友を弔うため打ち上げられた。釜石では、市民有志が2020年から毎年、震災の日に合わせて、打ち上げてきた。
今年は資金不足で打ち切る方向で検討していたが、能登半島地震を受けて継続を決め、クラウドファンディングや、根浜海岸前にある旅館の女将(おかみ)岩崎昭子さんらが寄付を募った。
花火は白菊の後も何十発も続き、住民たちの心をいやした。岩崎さんは海辺で花火を見ながら、「3発分のお金しか出していないのに、花火師さんにプレゼントしてもらってありがたい。長岡や能登の人と思いを共にした」と話した。
18:30
政府の地震調査委員会「安定な状態には戻っていない」
政府の地震調査委員会の定例会があり、終了後に会見した平田直委員長=東京大名誉教授=は「13年経っても力学的には安定な状態には戻っていない。大きく滑らなかった場所では、マグニチュード7、マグニチュード8の発生確率が高い場所もある」と述べた。
定例会では、この13年間の余震活動などについて「地震の発生数は依然として東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)前より多い状態が続いている」と評価した。
18:13
夕闇に浮かぶ「NOTO&NATORI」 宮城県名取市
宮城県名取市閖上の震災メモリアル公園で、約700個の電子絵灯籠(とうろう)に明かりがともり、「NOTO & NATORI(能登と名取)」の文字が、夕闇に浮かび上がった。
企画をした一人で、元市教育委員長の武田堆雄(たかお)さん(76)は「13年たち、閖上も少しずつ復興に向けて歩みを進めている。そのことを能登の人に伝えたい」と話した。公園にはここを襲った津波の高さと同じ8・4メートルの慰霊碑もある。
灯籠の絵は市内の公民館などで住民が描いたほか、全国からも寄せられた。閖上にあるこども園の4歳児クラスの子たちが、亡くなった「お空のお友達」にあてて書いたメッセージもあった。「いっしょにあそびたかったよ」などの言葉が描かれていた。
17:15
旧大川小で「竹あかり」輝く 宮城県石巻市
児童と教職員計84人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市の旧大川小学校で、竹灯籠(とうろう)にあかりをともす「大川竹あかり」が開かれた。当時の児童数と同じ108本の竹が輝いた。
今年で3回目。竹を磨いたり、穴を開けたりする作業は市内外の大勢のボランティアが担った。集まって作りながら交流を深めることで、震災の記憶をより広く伝える狙いがある。
5年生だった次女を亡くした紫桃隆洋さん(59)は「年に1度、みんなで明かりを眺めながら命について語る大切な場として、ずっと続けていきたい」。
17:15
約1万1千個の灯籠にあかり 盛岡市の公園
盛岡市の盛岡城跡公園では、「祈りの灯火(ともしび)2024~記憶を語りつぐ日~」と名づけられた追悼の催しがあり、牛乳パックでつくられた約1万1千個の灯籠(とうろう)にあかりがともった。
震災翌年から毎年3月11日に開かれてきた。運営するボランティアは延べ約500人で、中学生や高校生なども多く参加している。
実行委員長の吉田光晴さん(45)は「13年がたち、高校生の中にも震災の記憶がない子もいます。当時の記憶を語り継ぎ、追悼と防災の意識を風化させないよう高めていけたらと思います」と語った。
灯籠は主に市内の小中学生や一般市民の手作りだが、関東や関西、沖縄方面など他県の人たちからも寄せられた。能登半島地震への思いを込めたものもあり、「希望」「心ひとつに」などのメッセージが記されている。
16:00
「原発事故は終わっていない」 福島県郡山市で原発反対デモ
福島県郡山市では午後4時から、原発に反対する市民や原発関連の裁判原告ら約90人がデモ行進した。
「原発事故は終わっていない」として、東京電力福島第一原発からの処理水放出即時停止や、今年9月ごろに予定される東北電力女川原発2号機の再稼働撤回などを訴え、JR郡山駅前まで歩いた。
デモに先立つ集会には約150人が参加した。13年前の福島第一原発の事故が、避難生活による経済的苦境や住民同士の分断など数々の被害を福島県民にもたらしたと指摘。「地震大国で原発を動かせば第二の福島が生まれかねない」とし、政府の原発回帰を批判した。
15:30
立憲・泉代表が献花、災害援護資金について「返済期間の延長を」
立憲民主党の泉健太代表は、13年前の津波で被害を受けた宮城県岩沼市の食品加工会社「にしき食品」を訪ねたほか、仙台市若林区と多賀城市の慰霊碑で献花した。
泉氏は、民間企業の再建に公的資金を使うグループ補助金などで再建を果たした経緯や、働き手不足の現状を聞き取った。視察後、記者団に「人手不足が深刻だ。若者の移住、定住の取り組みが改めて大事だと感じた」と述べた。
また、被災者に市町村が貸し付ける「災害援護資金」の返済期限が今春から迎えており、滞納額が9都県で57億円を超えることについて「未曽有の災害で仕事や家を失った方々にとって資金は非常に役に立った」とする一方、「公平性に配慮しながら返済期間の延長を考えないといけない。政府に言っていきたい」と語った。
15:22
風船を大空へ 犠牲者を追悼 仙台市の小学校
津波で大きな被害を受けた仙台市若林区の震災遺構・市立荒浜小学校では、犠牲者を追悼する風船が大空へ放たれた。
このイベントにはバスケットボールのB1仙台の選手たちも参加。阿部諒選手(28)は、「この日は、仙台のチームに所属する僕らにとっても特別な日。皆さんの希望となれるようなプレーをしていきたい」。
15:15
仙台市で追悼式 市長が献花
仙台市宮城野区では午後2時半から、市が主催する追悼式が開かれ、220人が参列した。仙台フィルハーモニー管弦楽団の献奏後、午後2時46分の時報にあわせて1分間の黙禱(もくとう)をした。
郡和子市長は式辞で「時を経ても亡くなられた方々のご無念、最愛のご家族を失ったご遺族の深い悲しみはたやすく消え去るものではない。ご冥福を心よりお祈り申し上げる」。その後、合唱団による「花は咲く」などの合唱があり、郡市長らが献花をした。
15:10
釜石市で追悼式 遺族「震災を語り継ぐ人の活躍を願う」
岩手県釜石市の釜石祈りのパークで、市主催の追悼式が行われた。
遺族代表の「追悼のことば」を述べたのは、佐々木智之さん(41)。震災で母と姉が犠牲になった。
佐々木さんは「被災地では、震災を知っている世代から知らない世代への伝承が進みつつある。(被災)経験がある無しに関わらず、みんなの思いは、災害で犠牲者を出さないこと。震災の教訓を生かし、震災を語り継ぐ人の活躍を願う」と語った。
15:10
たこを大空に 宮古市田老地区の小学校
181人が犠牲になった岩手県宮古市田老地区では、発生時刻の午後2時46分にサイレンが鳴り響いた。
地区内外から集まった多くの…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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