学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。
広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。
1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。
■■■1945年7月30日(月)■■■
医学生秋口明海さん(17)は福岡に行く友人宅を訪ね、ささやかな送別会をしました。
今日は、学校へ行って、朝礼をしていると警報が出て、すぐに下校したが、己斐まで行くと解除になったので、また学校に行って、授業を受けた。
E先生とF先生の送別式があった。
15時16分の船で帰宅した。お水が飲みたくてたまらなかったので、船が着くと走って家に帰った。そうして、すぐにお水を飲んだ。とても、おいしかった。
けいほうのため草津までかえって、また登校した。3校時からなので、実業ばかりだった。私はくわをつかって中耕作業をした。汗がだらだら流れて、もんぺが足にくっついて、うるさくてたまらない。4校時も作業したら、おなかがすいて倒れそうになった。食事は大へんおいしかった。午後また元気をとりもどして作業した。
午後は病院の方の疎開作業をやる。皆汗だくだくだ。4時おやつとして大きな握りが配給された。
ちょうど帰る時になって警戒警報が発令されたが、構わずKとそのままIの家へ行った。行ってみると明日行くんだなぞとほざいている。のんきなやつだ。おばさんと無理に勤めて今夜立たせるようにした。おばさんの速成の料理でささやかな送別会をやった。
Iとも別れた。あるいはこれが最後の対面となるべく運命づけられていないとどうして言えよう。
また一人友人を遠くへやった。
記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。
この日の広島・長崎
広島 最高気温29.5度…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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