■■■1945年7月25日(水)■■■
きょうは楽しみにしていたはずのお祭り、なのに…。連日の空襲が森脇瑤子さん、熊本悦子さんの日常を奪います。
学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。
広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。
1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。
昨日と同じように、空襲のため、学校には行かなかった。
今日も、やはり昨日と同じように、学校へ行かれなかった。また、今日は厳島神社の管弦祭であるが、いつものように、少しも、にぎやかでない。店がひとつも出ていない、淋しい、淋しい管弦祭である。
昨日の機動部隊がまたやって来た。何度も警戒警報に入って、もう数えきれないだけ入ったり出たりする。朝掃除をして復習しているとかいじょになって、もう出そうにないので登校した。
朝礼が始まりかけると、また発令されたので、すぐ下校した。家につくと、もうお昼になっているので、お手伝いして食事をすませ、朝のつづきをしようと思ったが、あまりねむいのでねてしまった。おきた時は夕方だった。父に叱られてびっくりして起きた。
夕食の支度をして、ご飯がすむと、少しがくしゅうしようと思って、やりかけると空しゅうになったので火をけした。もうべんきょうが出来ないので、床についた。防空服装はきちんとしていた。
長崎医科大学の医学生秋口明海(あけみ)さん(当時17)の日記(1945年7月25日)
不勉強のせいでもあろうがC先生のドイツ語はますますわからぬようになってきた。
ゲーテ、シルレルなどのドイツ文学研究の点からもドイツ語だけはしっかりやろうとはりきっていたのであるが、学んでいると英語より以上に煩雑なのですっかり嫌になった。
人間はそれにしても実に弱いものである。
前もって自己の戒律―座右銘なぞつくってその通り自己の言動を律しようと思っても片端から破れていく。
恐らくこれは余一人のみであるまい。
これが凡人の常なのか。
人間の最も悲しむべき性情の一つをここに見る。
合衆国陸軍戦略航空軍の司令官カール・スパーツに対し、「広島、小倉、新潟、長崎のうち一つに、8月3日ごろ以降に原爆を投下すべし」との命令書が出された。
記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。
この日の広島・長崎
広島 最高気温28.2度…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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