学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。
広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。
1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。
■■■1945年7月28日(土)■■■
空襲で学校に行けなかった、広島第一高等女学校の森脇瑤子さん(13)。空を見上げると小型飛行機が進んでいく姿が見えました。
空襲のため、学校に行かれなかった。
今日も、24、25日のように、小型飛行機が来襲した。厳島の上空を進んで行く姿を見ると、憎らしくて、憎らしくて、ならなかった。
憎い艦上機がまた本土にやって来た。私たちの本分の勉強のじゃま、工場のじゃまをしに、また編隊を組んでやって来た。私は朝食をすまして、海水着を縫う布を出していただいて、その着物をといた。
午後、型紙がないので、採っていると、新聞に海の記念日のことで船長さんや船員さんの立派な行いが出ていたので、読んでいると自然にねむっていた。
MさんとNさんに明日水泳に行くことを約束したが、母が田舎へ行くそうなので、私は留守番だと聞かされて悲しくなった。夜は型紙を布に縫って、背をつぎ合わせて、床に入った。
1時間目のドイツ語の時間、嫌々ながらやっている所へ空襲警報だ。
一同大喜びの所へ総員配置の鐘が鳴って早速中止。
今日はまた防空当番で8時20分ごろ学校へ出掛ける。
土曜入りだというに今年はまだ例年の暑さを見ない。そろそろ海水浴の頃となるのだが、連日空襲の今日では水泳も不可能であろう。
記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。
この日の広島・長崎
広島 最高気温28.8度…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Leave a Comment