学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。
広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。
1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。
■■■1945年7月26日(木)■■■
医学生の秋口明海さん(17)は、学校帰りの電車で友人に召集が届いたと聞きました。「人間の運なんてほんとに紙一重」と自分の運命を案じます。
今日は、物象の考査があった。自分が実験してみようと、思っているものを、書く問題であった。私は、電気カバーのことについて書いた。
帰宅途中、高須の祖母の家に寄った。船の駅で、偶然、浩史兄ちゃんと出会った。九州への出張がすんだので帰ったのだ。今度、私の家から逓信局へ通うので、家がにぎやかになって嬉しい。
久しぶりに授業をした。歴史は先日の考査のとき方をおしえていただいた。成績が悪いのでどうしようかと思った。物象は思いもよらない問題を出されたので、めんくらった。私は平素考えたこともないようなことだ。まあまあ考えて書くだけは書いたけど、危うくてどうもしょうがない。とうとう2時間すぎて、生物の時間にK先生の面白いのにはおなかが痛くてたまらない。考査だといっておどかされたあの先生は、ほんとうにおもしろくて大好きだ。Lさんにやくそくの品をいただいてうれしかった。長く保管しようと思った。
大きな重いのをさげてかえるので、肩が痛くてたまらない。やっとなおったので日記を書いた。1週間出していたので抜けている。大急ぎで書いた。食後、妹や弟をつれて氷を買いに行って来た。それから日記を書きつづけた。文法を少しさらえて、床についた。
今日学校からの帰途電車内でDに会って聞くとE、F君などに召集が来たそうだ。
余だって医専に入っていなかったらもう勇躍召されてるにちがいない。
人間の運なんてほんとに紙一重だ。
岐路に立って左に行った場合、右に行った場合と全然異なった場所へ行くように、我々の運命もふとした境遇から思いも寄らぬ将来が聞けて来るものである。
米英中が、日本の無条件降伏を勧告する「ポツダム宣言」が発表した。
米の原爆投下部隊「第509混成群隊」が訓練のために模擬原爆「パンプキン」を投下。この日は、新潟県や静岡県などの国内10地点が投下目標にされた。
記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。
この日の広島・長崎
広島 最高気温29.8度…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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