学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。
広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。
1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介しています。
■■■1945年8月5日(日)■■■
「いつも、こんなだったらいいなぁ」。広島第一高等女学校の森脇瑤子さん(13)は、昨日のにぎやかな時間を思い出していました。
家庭修練日。
今日は、家庭修練日である。
昨日叔父がきたので、家が大へんにぎやかであった。「いつも、こんなだったらいいなあ」と思う。
明日から、家屋疎開の整理だ。
一生懸命がんばろうと思う。以上。
起きるのが大へん遅かった。お休みなのでゆっくりご飯を炊いて、みんなおいしくいただいた。私は(体調が悪い)母のことを思うと心配になった。家事の宿題
今日からまた講義が始まった。午前中はN先生の組織学の実習だった。初めての顕微鏡操作なので愉快だった。途中警戒警報を見たので11時ごろやめた。
午後はO先生の解剖だったが、4時までのところ3時前に終わった。後は骨を書けとのことだったが、サボって帰る。早速「父ありき」をみに昭映座へ行った。医専の生徒がだいぶん来ていた。
夜B29約500ないし600機南方基地出発、10時ごろ九州に達するだろうとの情報なので勉強やめて寝る。
今夜あたり長崎も焼かれるのではないか。
記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。
この日の広島・長崎
広島 最高気温32.2度…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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