学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。
広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。
1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。
■■■1945年7月19日(木)■■■
暑い日が続く木曜日。長崎医科大学では、1年生の歓迎会が開かれました。医学生の秋口明海さんは出されたうどんに感激します。
今日は、母が朝早く外出するので、いっしょに5時20分の船で登校した。朝、遅れて行くよりか、やっぱり早く着いた方がいいなあと思った。
昼食がすんで、保健所へ血液型を調べに行くために、校門を少し出たかと思うと、残念なことに警報が出たので、14時20分の船で帰宅した。
数学の試験があった。少し危ういが大たい出来た。食後サイレンが鳴り出した。すぐかえって母校に行き、4年受け持ちの先生に言って、オルガンをひかしていただいた。大へん音楽がよくわかって大助かりだった。夜はねむくてねむくてたまらないので、一時はとぼけていたが、おそくなるとはっきりして来た。
午後4時から病院の食堂で瓊(けい)中先輩の1年生歓迎会があった。出された馳走(ちそう)はウドン3杯である。何とありがたい先輩であろう。
記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。
この日の広島・長崎は
広島 最高気温28.4度…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル