学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。
広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。
1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。
■■■1945年8月2日(木)■■■
電灯がつかない学校、外は激しい雨。それでも、帰り際夜空には星が瞬いていました。静けさの中、医学生の秋口明海さん(17)は昨日の爆撃を思い返します。
昨日、H先生に、学校に遅れないように注意されたのに、今日、遅れたので、本当に恥ずかしかった。遅れないようにと、郊外電車には早く乗ったのに、市電になかなか乗れなくて、早く早くと思っているうちに、ついに遅れてしまった。
今日、H先生に読んでいただいた、日記を思い出して書いた。反省的に、しかも、美しく書いてあった。私も、あんなに書ければいいなあと思う。これからも努力していこうと思う。
己斐の駅で定期券をわすれたことに気がついた。被服の布も忘れた。今日が授業は最後らしい。現在の日本の情勢についていろいろお話をお聞きした。
せっかく国文をさらえても、もうすっかりだめになった。残念でたまらない。
広島県出身の音楽団が兵隊さんを慰問なさるのを、町民も聞きに行った。大へん立派であった。兵隊さんの近くに座ったので、妹とお話をしていらっしゃった。
学校の方は昨日の被爆で今日も電灯はつかなかった。雨がしのつくほど降り出したが、帰る頃はもう星が瞬くようになっていた。幸い本日は昨日の爆撃に満足したのか敵機は姿を見せなかった。
記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。
この日の広島・長崎
広島 最高気温32.8度…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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