プロ野球、南海ホークスの球場跡地、なんばパークスに刻まれた栄光の歴史。 ここに南海の顔ともいえる野村克也さんの記録が、一切残されていない。
一体なぜなのか、
そして、2月に亡くなった野村さんのために動き出した新たなプロジェクトとは?
野村克也を…難波に、大阪に帰らせてあげたい
野村克也さんと野球解説者の江本孟紀さん。 2人は南海ホークス時代のキャッチャーとピッチャーとして、最後まで師弟関係にありました。
その江本さんが記者会見を行い、野村克也さんに関する“あるプロジェクト”を発表しました。
プロジェクト名は「おかえり ノムさん」です。
かつて南海ホークスのホームグラウンドがあった「なんばパークス」で行われた記者会見。
【江本孟紀さん(元南海ホークス投手)】
「スーパースターだった野村さんが一番輝いていた現役時代を送っていたのが南海ホークス。野村克也をどうか、この難波に、大阪に帰らせてあげたい」
名前も写真も…南海ホークスの歴史から消えていた
1988年に南海ホークスは球団を売却。半世紀に及ぶ歴史に幕を下ろしました。
あれから32年。大阪球場の跡地に広がる、ミナミを代表する商業施設「なんばパークス」。
この中に、南海ホークスの栄光の歴史を今に伝える特別な場所があります。
江本孟紀さんは南海ホークスの投手としてリーグ優勝を経験しました。
かつて大阪球場で黄金期を築いた南海ホークス。
しかし、ここに南海の顔ともいえる“ある選手”の名前や写真が一切、展示されていません。
それは、2020年2月にこの世を去った野村克也さんです。
戦後初の三冠王に輝くなど、24年間に渡って南海ホークスで活躍。
1973年には4番、キャッチャー、監督と、二足ならぬ”三足のわらじ”でチームをリーグ優勝に導きました。
【江本孟紀さん(元南海ホークス投手)】
「ここが抜けているな、これはいくら何でも…きれいにどころか、影も形もない状態になっているから」 南海ホークスの年表にも、写真どころか名前すらありません。
【江本孟紀さん(元南海ホークス投手)】
「そりゃファンの人が来たってね、ノムさんをまず見たいもんね。どこを探したって、『野』の字もない。この辺りにひねくれたおっさんの顔がないと…」
Source : 国内 – Yahoo!ニュース