【詳報】被爆78年、祈りに包まれた長崎 受け継がれる平和への思い

 1945年8月9日、長崎に落とされた一発の原子爆弾が、7万3884人もの命を奪いました(45年末時点)。日常が一瞬で奪われた、あの日から78年。「長崎を最後の被爆地に」との願いを次の世代につなげるための平和祈念式典が今年も開かれます。台風接近のため、屋内開催となりましたが、この日が持つ意味は変わりません。8日から9日にかけての出来事を速報していきます。

■■■8月9日(日本時間)■■■

16:00

「水ばかけてくれんですか、そして平和を祈って」 継がれる思い

 長崎市平和公園にある「長崎の鐘」では、鐘の下に一枚のイラスト入りの紙が貼られてあった。〈水ばかけてくれんですか。そして平和を祈ってください〉

 原爆の語り部として長年活動し、4月に亡くなった被爆者の早崎猪之助さん(享年92)の活動を紹介する貼り紙だ。早崎さんは14歳の時、爆心地から約1・1キロで被爆し奇跡的に助かった。早崎さんは「生き残った側の務め」として、退職後、自宅から約2キロの平和公園に度々通い、水をまいていた。公園の来訪者には「どうか水ば与えてやって下さい。7万人の命が眠っています」と語った。

 早崎さんが亡くなって初めての8月9日。水をかける必要のない雨天となったが、さいたま市から平和公園を訪れた会社員、醍醐伸子さん(54)は「平和の尊さや何げない日常のありがたさを深く考える機会になりました」と話した。

14:45

原爆の日」毎年無料の資料館 20年通い続ける人も

 長崎原爆資料館(長崎市平野町)は毎年8月9日を無料開放日としている。千葉県成田市の尼僧の矢向由季さん(47)は約20年、8月9日に同館を訪れる。「長崎でいろんなものを見聞きする度に、人間はいくらでも残酷になれるんだなと思います。そうならないよう、過去に学ぼうと毎年ここへ来ています」

 この日、同館は台風のため、早めの午後3時で閉館に。横浜市の中学校に通う平沢凜(りん)さん(13)は「20分くらいしか見ることができなかった。まだ見ていない展示がたくさんある。また来たい」と話した。

14:00

被爆者が残した言葉や映像、「活用を」 市長は宣言に引用

 長崎市長が平和祈念式典で読み上げた「平和宣言」に、長崎の被爆者・谷口稜曄さん(2017年死去)の演説が引用された。「忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます」などの言葉だ。

 谷口さんの長男・英夫さん(63)は台風の影響で式典に参列できなかったため、自宅のテレビで宣言を聞いた。朝日新聞の取材に、「父の言葉を宣言に使っていただけてありがたい」と話し、「被爆者の言葉や体験には重みがあると改めて感じた。被爆者が直接訴える機会は少なくなるが、残された言葉や映像・書籍を活用しつづけてほしい」と訴えた。

13:30

医科大生の日記、記入は前日まで 保管する姪「悲劇二度と」

 長崎医科大(現・長崎大医学部)に通い、医師を志していた秋口明海さんも78年前、長崎に投下された原爆の犠牲になった。秋口さんは亡くなる前日まで日記をつけていた。日記は秋口さんの兄の故・秀二さんが引き継ぎ、大切に保管してきた。

 秀二さんの娘の黒田庸子さんはこの日、秋口さんの母校である旧制県立瓊浦(けいほ)中の原爆犠牲者追悼慰霊祭に参列予定だったが、台風で中止に。自宅で式典の中継を見た。秀二さんが弟を思い、毎年墓参りをしていた姿を思い出したという。「核兵器の恐ろしさを改めて思った。悲劇が二度と起こらないように祈りました」と話した。

11:50

工藤武子さん 「平和への誓い」訴え終え、ほっとした表情 

 「平和への誓い」を読み上げた工藤武子さん(85)は平和祈念式典終了後、「台風の中でも、なんとか誓いを述べることができてよかった」とほっとした表情で話した。市関係者のみでの式典となったため、被爆者を代表して献花もした。「被爆者のみなさんの願いは核兵器廃絶と平和な世界の実現。これが一番大切だと思って参列した」

 工藤さんは被爆者の平均年齢と同じ85歳。誓いでは、次世代への継承にも触れた。「これからは、後継者に伝えることに特に力を入れて頑張っていきたい」と笑顔を見せた。

11:50

工藤武子さんの夫「妻の言葉、みなさんに伝われば」

 式典後、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた工藤武子さん(85)の夫・勇二さん(82)が報道陣の取材に応じた。

 勇二さんは、武子さんが子どものころの家族写真を手にしながら誓いを聞いた。「お墓に入った妻の家族にも聞かせようと思って」と勇二さん。「自分の欲を優先するばかりでなく、他人のことを考えれば原爆なんてなかったはず。平和でありたいです。(妻の)言葉がみなさんに伝わるといい」と話した。

11:50

ブラジル姉妹都市から招待の学生「悲惨な歴史伝えたい」

 祈念式典には長崎市の姉妹都市であるブラジルのサントス市から学生が招待された。サントス市の大学に通うラモス・ジュリアさん(23)は「被爆者の方の話を聞いて胸が動かされた」と話す。

 元々日本文化には興味があったが、長崎の被爆の歴史については詳しく知らなかったという。今回、長崎に来て原爆資料館を回るなどし見識を深めた。「サントスに帰って、長崎市であった悲惨な歴史を現地の小学生や中学生に伝えたい」

11:30

ビデオ出演の長崎知事 世界の指導者に向け「被爆の実相に触れて」

 長崎県の大石賢吾知事がビデ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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