【速報中】亡き妻、きっと応援してくれている 東日本大震災11年

 11日で東日本大震災から11年となります。震災関連死を含めた死者・行方不明者は2万2207人。失われた命を思い、残された人たちの心の痛みを想像する。そして、これからくる災害への教訓と備えを考える――。そんな1日にしたいと思います。各地の動きをタイムラインでお伝えします。

「ここにいないで、早く帰ろうや」。男性(71)は妻の名前の書かれた慰霊碑の銘板に手を触れた。11年前、仕事を退職し「これから旅行でも楽しもう」と思っていた矢先に妻を津波で亡くした。「自然にはかなわない。しかし、せめて魂は一緒だと思っていたい」=2022年3月11日午前11時4分、宮城県石巻市雄勝、小玉重隆撮影

11:30

高校生が献花台に祈り「被害、改めて知った」 福岡市 

 福岡市のボランティア団体「夢サークル」の代表吉水恵介さん(65)は午前11時、福岡市中心部の天神・警固公園に手作りの献花台を設けた。近くには、震災後にボランティアで入った宮城県石巻市仙台市で自ら撮影した写真約150枚を並べた。

 献花台で最初に手を合わせたのは、高校の友人4人で天神に遊びに来ていた宮若市の三浦華菜さん(16)と福岡市の三本せりなさん(15)。当時、保育園に通っていた2人に震災の記憶はない。ただ、三浦さんは「今でも行方不明の方がたくさんいるとニュースで知り、被害の大きさを改めて思い知りました」。

 吉水さんは「11年経ってもまだ復興は終わっていない。力の続く限り、被災地に寄り添っていきたい」と話した。

高校生の三本せりなさん(左端)や三浦華菜さん(左から2人目)が、献花台に手を合わせた=2022年3月11日午前11時25分、福岡市中央区天神、藤原慎一撮影

11:20

土砂崩れ現場で追悼 「内陸でも被害、伝えていきたい」 福島・白河 

 土砂崩れが起き、13人が亡くなった福島県白河市。同市葉ノ木平の復興記念公園では、午前11時から犠牲者追悼供養のつどいが営まれ、遺族ら約50人が慰霊碑に手を合わせた。

 同地区では震災で、高さ約40メートルの山林が幅100メートルにわたり崩落。約7万5千立方メートルの土砂が崩れ、近くの住宅10棟を土砂がのみ込み、13人の命を奪った。

 母親の平山智子さん(当時69)を亡くした須藤里子さん(54)は「11年前のこの日は次女の中学卒業式だった。母も卒業式に誘っていたら」と、今も後悔の念が消えない。

 「でも、いつまでも後悔しても仕方がない。母には、昨年生まれたひ孫も元気に育っているよ、と伝えました」

 地元自治会長で僧侶の竹貫博隆さん(73)は「津波や原発事故の陰に隠れがちだが、福島の内陸でも犠牲になった人がいたことを風化させないためにも、追悼を続けていきたい」と話した。

11:10

父と祖父母亡くしたロッテ佐々木投手「大切な人がいること、当たり前と思わずに」

 岩手県陸前高田市の自宅が東日本大震災時の津波で流され、父と祖父母を亡くしたプロ野球ロッテの佐々木朗希(ろうき)投手(20)が、ZOZOマリンスタジアムで取材に応じた。

 佐々木は「震災から11年経っても、そのときのつらさや苦しみはなかなか消えないが、その中で自分が野球に打ち込めているのはたくさんの方々の支えがあるから。支えてくださる人たちに感謝したい」と話した。

 当時小学校3年生だった佐々木は「自分がこうして話すことで震災を思い出してもらえる」とした上で、震災を知らない子供たちに向けては「身近に大切な人がいることが当たり前だと思わず向き合って欲しい」とメッセージを送った。

 昨季3勝をあげ、今季はエース級の活躍が期待されている。「たくさんの試合に投げて、ひとつでも多くいいプレーを見せることで、東北の方々に喜んでもらえるよう頑張りたい」と決意を新たにしていた。

取材に応じたロッテの佐々木朗希投手

11:00

海岸で行方不明者捜索 なお31人不明 福島・浪江

 津波で151人が亡くなった福島県浪江町の海岸で午前11時、県警と消防、海保による行方不明者の捜索が始まった。町ではいまも31人が不明のままだ。

 警察官らは一列に並んで砂浜を掘り起こし、骨片や漂着物など行方不明者の手がかりを捜した。双葉署の斉藤雅彦復興支援課長は「今年は去年とは別の場所で捜索している。何か一つでも見つかってほしい」。

 この日、福島県内では沿岸部の警察各署が一斉捜索を実施した。県警によると県内では196人が行方不明となっている。

11:00

大学生「学びを防災につなげる」 中浜小そばの慰霊碑 宮城・山元 

 宮城県山元町の震災遺構・中浜小学校のそばにある慰霊碑には午前11時ごろ、次々と町民らが訪れた。町民らは手を合わせたり、刻まれた名前を一つ一つ確認したりしていた。

 中浜小学校を見学した後、慰霊碑を訪れたという仙台市青葉区の大学生小林聡さん(19)は「高校までは県外に住んでいたので震災を実際に経験してはいないが、そんな自分でも津波の恐ろしさが少しだけわかった気がする」。大学では情報工学を学んでいるといい、「学んでいることがどうすれば防災につながるか、これから考えたい」と話した。

10:50

福島・楢葉 町主催の追悼式は開かず 献花台を設置 

 津波で13人が亡くなった福島県楢葉町は今年から町主催の追悼式は開かず、献花台を設置して誰もが参加できる形式にした。

 献花会場は、2018年に完成した商業施設「ここなら笑店街(しょうてんがい)」。10時50分ごろ、献花に訪れた同町の菅波洋子さん(65)は、同僚と親戚の2人を亡くしたという。震災後は原発事故の影響で、新潟県福島県いわき市で避難生活を送った。震災後の11年を「短いようで長かった」と振り返り、「式典だとなかなか足が向かないが、献花台には買い物のついででも来ることができる。みんなで追悼できていい」と話した。

献花台を訪れた菅波洋子さん。津波で同僚と親戚の2人を亡くしたという=2022年3月11日午前10時52分、福島県楢葉町北田、滝口信之撮影

10:10

「絶対に忘れないと誓った」 仙台・勾当台公園で献花

 仙台市役所前の勾当台公園市民広場に設けられた献花場には午前10時50分、市民らが次々と訪れ、花を手向けて手を合わせた。

 宮城県石巻市に住む親戚を津…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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