広島は6日、被爆78年の「原爆の日」を迎えました。原爆投下時刻の午前8時15分に合わせて開かれる平和記念式典には、原爆で亡くなった人たちの遺族や、地元選出の岸田文雄首相らが参列する予定です。ロシアによるウクライナ侵攻で核兵器の脅威が高まっている上、5月の主要7カ国(G7)広島サミットで「核抑止」の維持が正当化される中、被爆者らは「核兵器なき世界」の実現をこれまで以上に強く求めています。5日から6日にかけての出来事を速報しています。
■■■8月6日(日本時間)■■■
08:20
「広島ビジョン」言及、「核抑止論は破綻」広島市長が平和宣言
広島市の松井一実(かずみ)市長が「平和宣言」を述べた。5月に開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)で発表された核軍縮に関する「広島ビジョン」に言及し、「核抑止論は破綻(はたん)している」と述べた。
宣言で「世界の指導者は、核抑止論は破綻していることを直視し、厳しい現実から理想に導くための具体的な取り組みを早急に始める必要がある」とした。日本政府には、核兵器禁止条約の締結を求め、11月の同条約締約国会議へのオブザーバー参加を求めた。
08:15
原爆投下時刻、参列者が黙禱
平和記念式典で、原爆投下時刻の午前8時15分、参列者らが1分間の黙禱(もくとう)を捧げた。
08:00
平和記念式典、はじまる 死没者名簿を奉納
広島市中区の平和記念公園で、平和記念式典が始まった。原爆死没者名簿が慰霊碑に奉納された。
06:30
平和記念式典会場、金属探知機で手荷物検査
平和記念式典に参列する人たちへの手荷物検査が始まった。カバンやポケットの中身を確認され、両手を広げて金属探知機の検査を受けた。公園の周りに6カ所の入り口を設置したが、長い列ができた。
広島市南区の松浦幸夫さん(65)は「岸田(文雄)首相への襲撃もあったし、ちゃんと検査してくれた方が安心する」と話した。
06:15
「尊い命の無念、刻まれている」原爆供養塔で慰霊行事
引き取り手のない約7万人分の遺骨が納められている広島市の平和記念公園内の原爆供養塔前で、原爆死没者の慰霊行事があった。宗教を超え、神道やキリスト教の宗教者がそれぞれの形式で鎮魂や平和への思いを捧げた。
胎内被爆者で、原爆で父を失った広島戦災供養会会長の畑口實さん(77)はあいさつで「被爆者の高齢化はますます進み、当時の広島の様子や被爆の実相を語れる人は少なくなっている。しかし、原爆で一瞬にして奪い去られた尊い命の無念の叫びは私たち広島に生きる者すべての胸に刻まれている」と述べた。
04:30
「あんな光景、もう誰も」被爆者の参拝、未明から
夜明け前のまだ暗い中、原爆死没者慰霊碑に手を合わせる一人の男性がいた。毎年8月6日の早朝に訪れるという広島市の野田弘さん(85)。78年前、爆心地から約1.5キロの市内の自宅で被爆した。当時は7歳。通っていた学校では校舎にいた児童のほとんどが犠牲になった。野田さんは足を痛め、たまたま学校を休んでいたという。
街の様子は今も鮮明に覚えている。「全身が焼けてドロドロになった人が、道にたくさんいた。あんな光景、もう誰も見ちゃいかん」。ウクライナ戦争に思いをはせ、「なんのために同じ人間同士で争うのか」と胸を痛める。慰霊碑を前に、戦争も核兵器もない世界が実現することを祈った。
01:15
深夜の参拝者 高校生も被爆者に思いを寄せて
広島市の平和記念公園では、未明も訪れる人が絶えず、原爆死没者慰霊碑の前で次々と手を合わせた。広島女学院高校で平和活動に取り組む坂本優月さん(15)も母親と一緒に慰霊碑を訪れた。深夜や早朝に静かに手を合わせたいという被爆者もいると聞き、その気持ちに思いをはせたいと思ったからだ。初めて深夜に公園を訪れた。
5日に核兵器廃絶を求める署名活動に参加していたとき、被爆者だという女性が署名をしながら寂しげに語っていた。「(活動を)やってくれるのはいいんじゃけど、何も変わらないのがむなしいんよ」。「悲しいだけだから」と、式典には参列しないという。
坂本さんは「もどかしさや悔しさがずっしりと伝わってきた。そんな思いを直接聞くことができるのも、私たちで最後かもしれない」。暗闇の中、厳かに浮かぶ慰霊碑を前に決意を強くした。「核兵器がなくなるまで地道に活動を続けたい」
00:00
原爆投下からの日数、「28489」に
被爆から78年の8月6日を…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル