東日本大震災の発生から11日で13年。大切な人を失った悲しみや郷里への思いを抱えながら祈りを捧げます。かけがえのない日常と「次」への備えについて考える、そんな一日に。各地の動きをタイムラインでお届けします。
■■■3月11日■■■
06:58
仙台市の荒浜にホラ貝の音 同僚ら失い、山伏に
190人が亡くなった仙台市若林区の荒浜で、山伏の園部浩誉さん(58)が海岸線を歩き、ホラ貝を鳴らしていた。
保険会社に勤務し、2010年まで仙台市内に赴任していた。震災当時は、異動先の大阪で、津波にのまれていく映像を見ていた。仙台時代の同僚や当時の顧客が津波に流され、亡くなった。「被災していない自分が、どうしたら同僚やお客さんを弔えるか」と考えた結果、13年から出羽三山(山形県鶴岡市)で山伏の修行を始めた。
それから毎年3月11日は、未明に荒浜の南にある宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)を出発し、荒浜のほか、塩釜市や石巻市、南三陸町の各海岸を訪れてホラ貝をならす。「魂を鎮めることともに、この音を聞いて、同僚たちが帰ってきたときの目印になってくれれば」と語った。
06:51
出勤前に墓参「しっかり生活できている。安心して」 岩手県大槌町
妻の両親を東日本大震災で亡くした岩手県大槌町の遠藤修さん(51)は11日早朝、仕事の前にお墓参りをした。13年たったが、この日になると当時を思い出す。「自分たちはしっかり生活できているので、安心してください。どうぞ安らかに」と言う気持ちで祈ったという。
06:50
「一区切りと思って」 妻を失った男性、13年ぶりに慰霊碑へ
宮城県南三陸町に住む及川幸男さん(83)はこの日のワカメ漁に出る前に、町の震災復興祈念公園にある慰霊碑を訪れた。津波で妻敏子さん(当時70)をなくした。1960年のチリ地震の経験から「ここには津波は来ない」と言われていた場所に逃げたが、流された。その後、5年間は泣いてばかり。まだ気持ちの整理がついたとまでは言えない。
いま祈念公園がある、この地を訪れたのは13年ぶり。隣接する駐車場までは来ても、慰霊碑のある丘の上までは登らなかった。
ようやく「一区切りだ」と思えるようになった。慰霊碑には、亡くなったそれぞれの人の名前は刻まれていない。「他の地域のようにあればここに来て、触れられるのに」。仕事が終われば、妻の眠る墓に手を合わせに行く。
06:40
岩手県宮古市で避難訓練
518人が犠牲になった岩手県宮古市。毎年3月11日は、津波避難の訓練をしてきた。
午前6時40分、緊急避難場所に指定された田老地区の高台には、自力で避難してきた人や、自衛隊のマイクロバスで避難してきた人が集まった。
久保田正記さん(72)は13年前、自宅1階が浸水。「訓練に参加して、身体で覚えることで、いざという時に思い出しながら動けるようにしたい」と語った。
06:30
「この日は海に来ないといけないと思って」 宮城県東松島市・野蒜海岸
宮城県東松島市の野蒜(のびる)海岸。震災後、周囲には民家がなくなり、防潮堤が整備された。
仙台市泉区から訪れた鈴木吉浩さん(58)が日の出に合わせ、波打ち際から釣り糸を垂らした。
「まだ時期じゃないんで釣れないのは分かってるんです。でもこの日は海に来ないといけないと思って」
県南部の亘理町(わたりちょう)でおばを亡くした。毎年3月11日は、釣りざおごしに海を見つめる。追悼の思いを込めて。
06:25
「忘れていないよ」 兵庫県から訪れた大学院生 仙台市・荒浜
仙台市若林区の荒浜地区の海岸で、兵庫県姫路市の大学院生石倉万里恵さん(24)が手を合わせた。震災があったのは小学5年生の時。津波の映像がずっと忘れられず、いつか被災地に訪れたいと思っていた。
4月から神戸市の特別支援学校で働くのを前に、休みを利用してやってきた。海を見ながら、「震災を忘れていないよ」と考えていたという。
大学院で、広島の原爆体験の継承について学んだ。「震災からは13年。継承がどうなっているのか、遺構をどう残していくのか。社会人になる前に見に来たかった」。宮城県南三陸町や石巻市なども訪れる予定だという。
06:10
「少しでも誰かの役に」 移住した元製薬会社員、決意新た 宮城県石巻市
宮城県石巻市の日和山の山頂付近で、同市の団体職員斉藤雄一郎さん(66)は、眼下の海に向けて手を合わせ、じっと見つめた。
東日本大震災の時は、東京で製薬会社に勤めていた。翌月の4月下旬、薬剤師の派遣業務を支援するため、縁がなかった石巻市を訪れた。がれきに埋まった街が忘れられない。
2013年に会社から市職員に出向。被災者の体験を記録・保存するため、多くの人の話に耳を傾けた。セカンドキャリアは市の復興に捧げようと、住民票も移した。
現在は一般社団法人「石巻圏観光推進機構」の業務執行理事として、防災学習の参加者誘致などに取り組む。
3月11日は毎年、自分の決意を確認するため、日和山を訪れ、街並みを目に焼き付ける。
「被災した人たちが立ち上がり、よくここまで前に進んできた。自分も、少しでも誰かの人生の役に立てたら」
06:00
能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市の市役所では、11日午前6時、東日本大震災の犠牲者らを悼み、市役所の屋上に半旗が掲げられた。地震発生の午後2時46分には、市役所などにいる全職員が黙禱(もくとう)を捧げる予定という。
05:54
「当たり前だったものが無くなってしまった日」 仙台市・荒浜
仙台市若林区荒浜では11日、早朝から海に向かって手を合わせる人の姿が見られた。
そのうちの一人、仙台市青葉区の石川泰子さん(58)は震災で親戚や友人を亡くした。
「この日は当たり前だったものが無くなってしまった日。まだ見つかっていない人もいるので、戻って欲しい」
仙台市の自営業福田沙織さん(53)は、所属するゴスペルグループのメンバーらと海に向かって手を合わせた。
震災から数年たった頃、ゴスペルグループでチャリティーイベントを始め、その後、毎年続けてきた。復興イベントが減っていく中で、「それでいいのかな」と考えたという。
これまで市内の献花台などには足を運んでいたが、3月11日に海岸に来たのは初めて。
「震災を忘れない、風化させないことが大事だと思う。生かされている自分たちに何ができるのか。考えながら生きていきたい」
■■■3月10日■■■
18:09
避難指示の一部解除から1年半、駅前でキャンドルナイト 福島県双葉町
東京電力福島第一原発事故で大きな被害を受け、約1年半前に町の一部で避難指示が解除された福島県双葉町で10日、犠牲者への追悼と復興への願いを込めた「ただいま、おかえり 双葉まちキャンドルナイト」があった。
会場となったJR双葉駅前に…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル