【動画】生きる・支える 移動販売車の道=斎藤健一郎、小玉重隆撮影
移動販売車の運転席で、山下渥子(あつこ)さん(61)がダッシュボードの音量スイッチをひねった。スピーカーから軽快な歌声が流れ出す。
♪ふれあい 信頼 大切に産地と食卓つなぎます
みんなの健康 幸せを 今日もちょっぴりお手伝い♪
山あいの細い街道を、軽トラックが大きな歌声を響かせ進む。車窓の両側には家々が並ぶが、枯れ草に沈む建物も目につく。人の気配が薄い。
「みんな来るかな?」
販売車を空き地に止めた渥子さんは心配そう。その視線の先から3人、4人、一歩一歩、笑顔が近づいてきた。
「こんにちは!」。渥子さんの顔がパッと明るくなって、自然に声も大きくなる。
「あっちゃん、元気にしとった? 今日は寒いねえ」
「まだ風がつめたいでね」
三河弁であいさつしながら販売車の荷台パネルをはね上げると、そこは小さな市場だった。軽トラの荷台のスペースいっぱいに、みっちりと食品や日用品が詰まっていた。
「あれ、アサリだ。季節だもんねえ」「あんたの財布、破れそうなほどお金が入っとるね。なんだい? 硬貨か」
ハッハッハ。静まりかえっていた集落に音と色が戻り、花が咲いたようだ。
こんなにできる人はそうおらん
愛知県新城(しんしろ)市を、「J笑門(えもん)」と名付けたJA愛知東の移動販売車が走り始めたのは2017年6月のこと。高齢化が進む中山間地では地元商店が相次いで廃業し、買い物に困る高齢者が増えていた。
J笑門は鳳来(ほうらい)地区の過疎集落を結ぶように巡る。週3日、販売を担うのが鳳来寺山の参道に住む渥子さんである。親しみを込めてみな「あっちゃん」と呼ぶ。
アルバイトながら、どんな商品をそろえ、いかに売るかは任されている。バナナやヨーグルト、おすしやコロッケなどの総菜がよく売れるが、定番ばかりを並べても、人生の先輩たちを満足させることはできない。
「あのおばちゃんはいつもシソ納豆を買う」「こないだタラを頼まれたのになかったね、ごめん」。これから行く道々で待つ一人ひとりの好みや顔を思い浮かべながら、勤めるJAのスーパーで、朝2時間をかけ、商品をよりすぐり、J笑門に積む。
お客さんの中には、自分で商品を見て選べる唯一の機会が販売車だという人も多い。「ほしいと言われて『ない』と答えるのが一番悔しい」。タテをヨコに、横を縦にしながら棚いっぱいにすると、商品数は1千にもなるという。
あっちゃんは「品ぞろえがいいだけではだめ」と言う。
心がけるのは笑顔。それも硬く張り付いたような表情ではない。心からの笑顔。「ムスッとしている人が自分の集落に来ても、誰も会いたくないじゃんね」
売り上げは徐々に増え、最近は10万円を超える日も珍しくない。統括店長の小泉和宏さん(58)は「あっちゃんかい? こんなにできる人はそうおらん。大したもんだ。尊敬に値するよ」。そう言って、両手のこぶしをぐっと握った。
■心の中は真っ暗…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル