あの夏一番近くにいたから 球児へ贈った手紙 届いた返事に支えられ

 あの夏届いた返信は、4段あるレターボックスの一番上、「一番大事な手紙ボックス」に入っている。

 2009年8月末。甲子園で、中京大中京高校(愛知)が、4041校の頂点に立ってしばらくのころ。大阪市平野区の上脇公徳(こうとく)さん(71)は、ひと夏中考えた末、やっと書き出した。

 宛先は、堺市の府立三国丘高校硬式野球部。

 《突然お便りいたします失礼をお許し下さい。

 ここに1個のボールがあります。試合終了の整列のとき高津高校の選手から返還されたボールです。受け取った瞬間、足を何度もつりながら熱投した小根森君に渡そうと考えました。

 奪三振13の小根森君も素晴らしい。一番悔しい思いをした内野君に立ち直って欲しい。チームを引っぱりまとめたキャプテンの緒方君の努力も大変だったろう。そう考え出すと誰に渡していいのか分からなくなってしまいました》

 7月18日、第91回全国高校野球選手権大阪大会の7日目、2回戦の高津(大阪市)と三国丘戦は、実力ある公立校の戦いだった。

 その日の球審が、上脇さん。1976年から軟式野球の審判員として活動を始め、85年から高校野球の審判委員としてデビューした。仕事の合間を縫って、休日はほぼ審判へ。決勝や準決勝などで球審もした。

 しかし、この日は、いつにない不安と緊張で帰りたいほどだった。開幕日前日に転倒し、右腕があがらなくなり、4試合欠場。今大会最初の審判の日だった。ちゃんと、できるだろうか。

 試合は、八回まで無失点の投手戦。九回表1死一、二塁。高津の犠打を絡めた攻撃に、三国丘の送球が乱れた。その間に、2点が奪われた。送球ミスしてしまった内野遣斗(けんと)選手が、小根森雄太投手に駆け寄る。小根森さんは、「大丈夫や」と笑顔で抱き締めた。

 だが、2点差は縮められず、ゲームセット。2時間19分だった。

 上脇さんは、ボールを持ち帰り、1カ月余りが過ぎた。

負けてしまった試合だったけど

 《考えあぐんだ末、至った結…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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